■メッセージ■
先般新宿伊勢丹に「台南林百貨店」が登場しましたが、今度はその真向いのマルイ本館に「神農生活」が登場しました。
神農生活は、昨年日本1号店をあべのハルカス近鉄本店タワー館にオープン。「より少ないことは、 より豊かなこと(LESS IS MORE)」をコンセプトに、バイヤーが台湾全土をまわり「おいしさ」や「安心・安全」であることを基本に、生産者から直接買い付けたこだわりの商品を展開しているのだそうです。行ってみると、あまり広くないコーナーに食品や雑貨がひしめき、さらに運送業者が荷を届けていました。なつかしい台湾のコーラと、渡航費をためようと大きなブタの貯金箱を買ってきました。
■竹久夢二の素顔■
●恩地孝四郎(4)(『夢二スケッチ帖抄』復刻版(未来社)の編者解説「夢二のスケッチ帖」より)
(注)本書は恩地孝四郎主宰・編集の趣味雑誌『書窓』第六巻第六号の特別号として昭和13年(1938)11月アオイ書房から発行されたもので、1000部もしくは600~700部と言われる。(復刻版「復刻にあたって」(高木護)より)
家庭の人物は彼の家族がかかれる。所謂夢二式の女を成した環女は初期に、京都時代には日本画を描いた彦乃女が、そして後期には「お葉さん」が。童兒へは深い愛着で彼の二兒が各時期に亙り寫し留められてあるが、割愛した。彼の著作にも波があるが、スケッチでも差動がある。前期盛期を過ぎては、緩慢となり、その状態を長く引いて松澤村定住に迄至ってゐる。いま彼のスケッチを時代的に見ると、初期は彼の先駆者とみるべき明治末の清麗な挿畫家一條成美の筆致の下にあり、僅に彼の萌芽を見せるに過ぎない。大半は収めない。彼の特質がはつきりと流動してゐるものは一九一〇年以降で、一九一一年が最頂で一三年くらいに至る間であらう。本輯又その期を主としたが、秀作の量も多いのである。彼の文字的著作の多い中期には余り見るべきものがない。が、後期に至っては果して緊縮した筆致を見せ充實したスケッチを残してゐるのである。題材も女は闇の女をすてて藝妓にうつてゐる(ママ)。但し此點はもつとずつと早い。闇の女は他の時代に及んでゐないのは又、それらへの渉猟(しょうりょう)が早く切上つてゐる証左でもあるし年齢とも並行した結果であらう。外遊中の夥(おびただ)しいスケッチはこの人として當然である。之らは既に前集、竹久夢二遺作集で見られたであらう。ただ、女のスケッチは甚だ生彩がないのは、彼がいかに日本のキモノと共に生息してゐたかが覗へる。(つづく)
※渉猟(しょうりょう):広くあちこち歩きまわって、さがし求めること。
※一條成美(いちじょうせいび):男性、1877年9月25日 - 1910年8月12日。長野県東筑摩郡神林村(現松本市)生まれ。旧制松本中学(現長野県松本深志高等学校)を中退後、1897年長野県庁に奉職し土木課製図係となる。菊池容斎の画風に私淑し独学で日本画を学び、上京して渡辺省亭に師事する。与謝野鉄幹の『明星』の表紙画や挿絵を担当し、日本画と洋画を折衷した作風で有名となるが、明星第8号の挿絵が内務省により発禁処分を受け、1901年出版元の新詩社を退社した。
その後は新声社、博文館、冨山房、三省堂など各出版社の文芸誌や、河井醉茗の詩集『無弦弓』、中村春雨の小説『無花果』などの挿絵や装丁を手がけ、東京高等師範学校の嘱託を務めたこともあったが、1910年に東京府豊多摩郡淀橋町(現東京都新宿区)の自宅で死去した[2]。死因については詳細は不明だが、過度の飲酒が原因だろうと旧制中学の同級生窪田空穂は回想している。(wikipediaより)
▼一條成美の画
■夢二の台湾旅行(復習編)■
これまで長期にわたり追ってきた夢二の台湾旅行の概要と着目点などについてまとめていきます。
●第9回 「竹久夢二画伯滞欧作品展覧会(1)―警察会館」
昭和8年(1933)11月3日、警察会館で「竹久夢二画伯滞欧作品展覧会」が開幕しました。開催場所は警察会館。南陽街沿いの交差点の角に建てられたタイル貼りの壁を持つ建物で、住所は台北市明石町1丁目3番地(現在は、台北市南陽街15號)。鐡道ホテル(現在の新光三越)からも台湾博物館(現在の国立台湾博物館)からも徒歩5分程度という、官庁街でも交通至便な場所にありました。
警察会館については、日本統治時代の台湾の状況を説明しているブログ「林小昇之米克斯拼盤」の「2011年9月26日(月曜日) 警察会館」の欄に次のような要旨の詳細説明があります。(王文萱氏より情報提供、華語より機械翻訳の要約)
「警察会館は、宿泊施設、講堂、食堂、レクリエーションルームなどがあり、主に警察職員とその扶養家族の出張または休息に使用する施設を提供するもの。また、講義、芸術活動、映画やスピーチの集会場所としての機能もある。ここには警察会館長の住居も付属している。建物外壁は北投炉工業(株)の小口型タイルで、台湾総督府官房営修課の井手香、太田良三、宮川福松が設計・監修を担当し、主な工事は松永彦次郎が請け負い1929年7月26日に着工、1930年6月12日午後1時に上棟式が行われ、同年9月30日に完成した。
台湾警察協会は、1930年11月8日午後2時にグランドセレモニーを予定していたが、10月27日に「霧社事件」が発生し、警察ホールの完成式を中止せざるを得なかった。
2階の講堂では、商工団体への貸与や講演会が頻繁に開催され、日本の著名な建築学者である伊東忠太が、台湾建築会の招待で1936年8月10日に講演をしている。」
この講演会の様子は写真にありますが、おそらく夢二の展覧会もここで行われたと思われます。
ただ、「夢二 異国への旅」(袖井林次郎著)にもあるとおり、当時は、「台湾の日本画壇は石川欽一郎の影響力が圧倒的に強く、夢二などはそれこそ『夢二是誰?』ということになりかねない」といった状況だったと思われることや、「そのような場所を借りるにはかなりの政治力が必要だが、一方、『私たち台湾人には行きにくい所でしたよ』と私と同じ世代の日本語をしゃべる台湾人画商が語ってくれた」ということで、夢二の知名度低下や警察会館という会場設定が理由で展覧会が盛況にならなかったことが伺われます。また、夢二にとっても、「警察」の文字はあまり好ましい名称ではなかったと思われますが、この時は、資金集めの意向が強かったこともあり、河瀬蘇北の集客力に頼ったということでしょうか。次回は肝心の展覧会の模様を取り上げます。(つづく)
※霧社事件:1930年10月27日、台湾の台中州霧社(現在は南投(なんとう)県仁愛(じんあい)郷)で起こった高山(こうざん)族の抗日蜂起(ほうき)事件。日本の植民地支配に対する原住民の不満が爆発したもので,モーナ・ルダオを指導者としてマヘボ社など6社約1500名が蜂起し日本人134名を殺害。台湾総督府は波及をおそれて飛行機・山砲等を動員、高山族1000余名を殺害して11月19日に鎮定した。台湾映画「セデック・バレ」(2011年、魏 徳聖(ウェイ・ダーション監督)に描かれている。
・魏 徳聖(ウェイ・ダーション:台南に生まれる。遠東工専(現・遠東科技大学)電機科卒業後、1995年から1996年に海象監督の『海ほおずき The Breath』にスタッフとして参加。2008年に『海角七号 君想う、国境の南』を発表し台湾で史上歴代2位となる興行成績を収め、2014年には永瀬正敏主演の『KANO 1931海の向こうの甲子園』を製作した。日本統治時代に強い関心を持ち、日本関係の作品をいくつか発表している。
▼警察会館概観
▼伊東忠太が警察会館2階の講堂で講演した模様(1936年8月10日)
▼現在の「警察会館」跡(調査旅行「夢二の見た台湾」実施時(2019年))
■夢二の世界■
PART 3 「KAWAIIの世界」(「竹久夢二 かわいい手帖」(石川桂子著)より)
41 大正女性のファッションスタイル ― 舞妓はん
だらりの帯に華かんざし、艶やかな着物に身を包んだ舞妓の姿を、夢二は好んで描き表しました。
舞妓は唄や踊り、三味線などの芸で宴席に華を添えて、京都・祇園の花街で伝統を長く伝える存在ですが、上品で華やかな姿は、絵画のモチーフとしても好まれ、多くの画家が筆をとりました。
夢二は大正5年(1916)末から約2年京都に移住し、祇園の近くに居を構えていたので、舞妓を日常から多く眼にしていました。また自身も宴席に通い、舞妓とじかに接する機会を持ちました。
書籍装幀において夢二は、作家・長田幹彦による祇園を題材に執筆した小説や、祇園にゆかりの深い歌人・吉井勇による歌集等の表紙や函に、艶やかな舞妓の姿を描き、京情趣に満ちた美しい装幀を手がけました。
■夢二の言葉■
●幼年の頃は、 泣ながら母の袖蔭にかくれた。 少年の頃には、 父に抱かれて、心強かったけれど。 青年の今は、孤独だ。
(無題/『夢二画集 春の巻』1909年)
●僕には名がある、 パパ、ハズバンド、ラバー、 …………それ等に別れたい。 そして、人類の心にいつも響く 人情の哀音を聞きたい。
(恩地孝四郎宛の手紙より/1910年9月6日)
●街の犬よ、 吠えることをやめよ。 私は盗まれるべき財も、衣も、 妻も今は持っていない。 なんにも持っていない。
もしわづかにもっていることを 誇るべきものがありとすれば それはおぼろげな希望に過ぎない。
(日記「童貞へ」より/1915年)
■夢二情報■
●夢二の在野の研究家で、大牟田市で「ギャラリーADアート」を経営する安達敏昭さん(80)が9月4日、北九州市で夢二についてギャラリートークをしました。
安達さんは「夢二の旅 ―九州から巴里へ」の著者で、同書では、柳原白蓮、斎藤茂吉、青木 繁、北原白秋、近松門左衛門、モナリザと夢二の関連を解説しています。内容が非常に面白いので付箋だらけになってしまいました。
*毎日新聞(有料記事): https://mainichi.jp/articles/20220906/ddl/k40/040/247000c
●竹久夢二にちなみ句作に励む 伊香保で俳句大会(朝日新聞デジタル)
竹久夢二の命日にあたる9月1日、「第27回夢二忌俳句大会」(同実行委員会主催、朝日新聞社など後援)が伊香保温泉(群馬県渋川市)のホテルで開かれました。
https://www.asahi.com/articles/ASQ997DDBQ91UHNB00J.html
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