■メッセージ■
【花鳥風月亮的照片859号】
9月16日。今日は竹久夢二の誕生日。来年11月のイベント「夢二と台湾2023」まで余すところ1年余となりました。コロナ禍をはじめ資金面での状況を踏まえ、内容を大きく絞り込み、昨年から今年にかけて台北・北投文物館で展覧会「竹久夢二的視界」を開催した王文萱さんのご協力をいただき、ニ人三脚で「夢二の台湾訪問状況」と「夢二の魅力」について講演会を実施することになりました。同講演会では、合同会社「きよみず」が製作する短編動画「夢二 台湾客中」(原作 林 健志、演出 秋葉由美子)の上映も予定されており、来年9月をめどに現在鋭意製作中です。ちなみに同社は、初製作の短編映画『君が咲う日』(きみがわらうひ)(原案 鈴木愛子・秋葉由美子、監督 長尾元)が、「🇬🇧ジェーンオースティン国際映画祭2022」(英国)で選ばれ、9月15日から昨日まで上映されました。
ところで、不思議なことに「16日」は”夢二の日”のようです。
夢二研究家・王文萱さんの長男モチカズ君の誕生日が夢二と同じ9月16日。そして、演出家・秋葉由美子さんの誕生日は4月16日、製作者・鈴木愛子さんは3月16日で、二人ともイベント用動画の製作に当たっています。
極めつけは、夢二最愛の人・笠井彦乃の命日が1月16日ということです。
実は、「きよみず」の映画が上映された「🇬🇧ジェーンオースティン国際映画祭2022」のジェイン・オースティン(Jane Austen)さんも1775年12月16日生まれで「16日つながり」の仲間入り。彼女の作品は18世紀から19世紀のイングランドにおける田舎の中流社会を舞台として、洞察力に裏打ちされた解釈で女性の私生活などを結婚を中心として皮肉と愛情を込めて描いたもので、「高慢と偏見」、「エマ」などは何度も映画化されています。彼女の偉業を記念したこの映画祭も毎年開かれているとのことでした。
▼「夢二と台湾2023」
■竹久夢二の素顔■
●恩地孝四郎(5)最終回(『夢二スケッチ帖抄』復刻版(未来社)の編者解説「夢二のスケッチ帖」より)
(注)本書は恩地孝四郎主宰・編集の趣味雑誌『書窓』第六巻第六号の特別号として昭和13年(1938)11月アオイ書房から発行されたもので、1000部もしくは600~700部と言われる。(復刻版「復刻にあたって」(高木護)より)
日本の着物は女の感情の微影までを傳へ表はすといつた彼である。といへば、スケッチ帖の山をくづし乍ら有島氏もいはれたが、彼には裸体のスケッチが少い。之も右述の理念のためであり、衣を纏(まと)つてこそ美しいといつた彼には當然であり、わざわざしつらへたものをかくことをしなかつた彼に、所謂裸体がないのは必然である。自然状態に在ては裸形は化粧時と浴時だけである。だから夢二のスケッチのそれはこの状態だけである。一四七の浴女はさしてよいものでないがおそらく甚だ速寫であつたであらうこれにも、よく女の姿態はつかまれてゐる。しつらへられた裸体クロッキーではない。尚、本輯の画に加へられてる色は、夢二君がいつも黒と共に携行した、ババリア出來ジヨンファバアの素木軸の色鉛筆の色を模したので、之らの賦色(ふしょく)はすべて速寫時同時に加へられたものである。あとで加へたと推せらるるものは集中二三しかない。加へられた此一色がいかに溌溂(はつらつ)としてゐるか。茲(ここ)にも彼の才能が見られる。(了)
▼「夢二 スケッチ帖」
■夢二の台湾旅行(復習編)■
これまで長期にわたり追ってきた夢二の台湾旅行の概要と着目点などについてまとめていきます。
●第10回 「竹久夢二画伯滞欧作品展覧会(2)―展覧会」
昭和8年(1933)11月3日、台湾初の夢二展覧会が警察会館で始まりました。開会式が行われたという資料はありませんが、展覧会を提案した東方文化協会会長の河瀬蘇北の力もあり、警察はもちろんのこと、台湾総督府関係者には十分な周知が行われていたのではないかと思われ、鳴り物入りの初日とあって、多くの来場者があったことと思われます。しかし、当時の世相として、警察の施設が一般の日本人や台湾人に行きやすい場所であったかどうか、日本の絵画を扱う台湾人の画商などが来やすく入れる場所であったかどうかは、怪しいものであったでしょう。さらに不景気の最中、ということもあり、売り上げは夢二の期待通りにはいかなかったようだと藤島武二も述懐しています。
「竹久夢二画伯滞欧作品展覧会」の出品作は54点といわれています。滞欧作品『海浜』『女』『旅人』等の他、枕屏風『春夢幻想』『榛名山秋色』の近作、さらに有島生馬との合作で四尺二枚折屏風『舞姫』があったとのことですが、米欧の旅から帰国して1か月後の夢二がいきなりこんなに多くの作品を用意することは難しく、少年山荘にあったものなどいろいろ集め、ひょっとしたら色紙などは船中でも描いたかもしれません。スケッチでもそうですが、肉筆画なども相当描くのが早かったと語られていますので。
開会中の夢二が写っている写真を掲載した「台湾日日新報」があります。きれいに写っていないので表情はぼんやりした感じですが、相変わらず笑っていないようです。展示物も少し見えます。この展覧会の目録があります。全作品名が書かれています。夢二研究会会員で、昨年から今年にかけて台湾で夢二展を開催した王文萱氏がこの展覧会の目録を提供しています。また、今年7月に東京古書会館で開催された第57回「明治古典会七夕古書大入札会」でも出品されており、実際に手にしてみたところ、想像していたより薄いペラペラの紙に粗く印刷されたものであったことが分かりました。
また、最終日11月5日の「台湾日日新報」には、次のような記事が掲載されています。
「竹久夢二画伯滞欧作品展覧会
久々で竹久夢二君の繪を観る。時代の潮に姿を没したかに思はれてはゐたが、此の畫家が持つ昔ながらの「人間情熱」は、まだ作品の上にまざまざと活きている。否或る點で一部洗鍛され老熟して来たかの観もあり、相當に面白く観られた。油絵は柄でないようだ。多くの日本畫的手法による半折の美人畫には、藝術作品として卓抜さがドレ程あるかは疑問としても、人間の持つ情熱を描き出さんとして愈々刻苦してゐる夢二張りの長所は十分に認められる。
「萬里脚」などは小品ながら佳い。風景を畫いても此畫家は自分の情熱を畫面にさらけ出して楽しんでゐるといふ形ちだ。「榛名山風物」その他数作なぞはソレで相當に書けて来た書のうま味と共に南畫的情趣の世界を別に展開して来た。そして俳畫境にも一展開を見せてゐる。鋭い天分で藝術界を一貫する工作は無いとしても、情熱の動きをコレほど如實に傳へて呉る畫家も然う多くは無いといふところに、夢二君の存在価値は依然として認めてよいと思ふ。(鷗汀)」
なかなか好意的に好評をしてくれていますが、最終日ではなく、開催前に掲載してほしかった感があります。
ところで、作品は売れたものを除き亡失(盗取?)の憂き目にあうのですが、悪質な仲介業者のせいか、後日自動車の故障で夢二が船に乗り遅れた際に基隆の倉庫に残されたか、神戸に先に旅立ってしまったかして、その後に亡失したか盗まれたとも考えられ、推測の域を出ません。夢二は盗まれたと思っていたようですが、これについては後述します。なお、残った荷物ではなく、台湾で買われた作品や謝礼として贈呈した作品が台湾で発見される可能性もまだ残っています。
おそらく、台湾人にとっては夢二についての知識がなかったものと思われるため、買ったのも贈呈されたのも日本人の可能性が高いと思われますが、台北は。今後の調査によりひとつでも見つかることを期待してやみません。ただ、次のとおり、台北は太平洋戦争で米軍から大規模な空襲を受けていて、その犠牲者は日本人が中心であったことから、購入した作品が消失している可能性もあります。
(注)米軍による台北の空襲(wikipediaより)
米軍による本格的な台湾空襲は太平洋戦争末期、フィリピンの戦いのために第38任務部隊の艦上機が来襲した1944年(昭和19年)10月12日に始まった。ルソン島占領後は陸上機も頻繁に来襲、屏東や虎尾の製糖アルコール生成工場、高雄港、岡山航空廠を目標にした。そして台北もアメリカ軍の空襲範囲に含まれ、頻繁な攻撃を受けるようになった。当初台湾に230機あった日本軍戦闘機は、台湾沖航空戦以来の戦闘でほぼ壊滅状態となった。
米軍による台北空襲で最も被害が大きかったのが1945年(昭和20年)5月31日の空襲。合計117機のB-24が波状攻撃により、5月31日の午前10時より午後1時まで台北を目標とした空襲を加えた。目標となったのは対空砲が残っていた台北城内(現在の台北市忠孝西路、中華路、愛国西路、中山南路に囲繞された地域)、城外の台湾歩兵第1連隊、野砲兵第48連隊(現在の中正紀念堂)などの軍事施設を初め、台湾総督府を含む、栄町、京町、文武町、書院町、明石町、旭町などの主要官庁街であった。3,800発の強力な爆弾が投下された。
この結果、最も大きな物的被害を受けたのが台湾総督府である。総督府は空襲を避けるために迷彩偽装が施されていたが、建物右翼が被弾し、中央塔脇のエレベーターと階段、その間にあった事務室が倒壊した。対家屋面積比の83%が被害を受け、以降の使用は不可能となった。更に当時建物内にいた人々が地下室へ避難していたところ、階段が瓦礫で埋まってしまったため全員が生き埋めになるという惨事も発生している。このほか総務長官官邸、台湾鉄道ホテル、総督府図書館、台湾電力株式会社、台湾軍司令部、台北帝国大学付属医院、台北駅、高等法院、度量衡所などの官庁が被害を受けた。
様々な憶測を呼ぶ消えた夢二の作品ですが、これについての考察は今後も折に触れて書いていこうと思います。(つづく)
▼展覧会場の夢二(「台湾日日新報」(掲載日不明))台湾日日新報(昭和8年11月)
■夢二の世界■
PART 3 「KAWAIIの世界」(「竹久夢二 かわいい手帖」(石川桂子著)より)
42 子供の世界 ノスタルジック&モダン
子ども向け雑誌の表紙絵をはじめ、書籍や楽譜装幀で、夢二は優しいノスタルジックな趣に満ちた、愛らしい子ども絵を描きました。自身の幼き日や息子たちへの思い、また子どもたちの日常にみられる姿を、明るい色彩と繊細な線描で表現しました。
夢二が描く子どもファッションに注目すると、着物姿もありますが、洋服の方が多く見られます。子供服の洋装化は大人よりも早く、第一次世界大戦後に一般化します。
それに先駆けて大正初期には着衣の上に白いエプロンをかけることが流行し、子どもは男女問わず外出時にもエプロンをすることが、ハイカラでおしゃれでした。
■夢二の言葉■
●いつから人間は泣くかわりに 黙っていることを知ったのだろう。
(『夢二日記』1920年5月21日)
●一人居るということは さして苦痛ではない。 しかし誰からもわすれられ 見捨てられたとおもうことは たまらない。
(『夢二日記』1927年8月12日)
●何かをわすれるために旅に出るという旅人も、トランクの中に、 知らずにその生涯をつめこんでいる。 地理的に隔てをおくことによって、 心を遠ざけたと思うのは、 ロマンチックな迷信に過ぎない。
(「手紙・断章」より『若草』1932年1月号)
■夢二情報■
●台湾の夢二本がドイツの書籍見本市へ!
今年10月20~23日に開催される「フランクフルト・ブックフェア」(ドイツ)への台湾パビリオンの出店作品に王文萱氏の「竹久夢二」が選ばれました。
フランクフルト・ブックフェア (フランクフルト書籍見本市、フランクフルト・ブッフメッセ)は、毎年ドイツのフランクフルト・アム・マインで開催される世界最大の書籍の見本市。世界中からの出版社・マルチメディア業者が集まり書籍やソフトウェアを展示し、業者間で各国での版権やライセンスなどの取引が行われます。国別ブースの出展もあり、その台湾ノンフィクション部門45作品の中の一つに王氏の「竹久夢二芸術」に関する本が選ばれました。
フランクフルトは 「世界最大の書籍見本市」を称し、2021年には73,500人の入場者を集めています。
ちなみに夢二がドイツのハンブルグに着いたのが今から90年前の1932年10月10日。10月18にはベルリンに向かい、10月24日にチェコに向かっています。つまり、90年前、夢二はこの展覧会の開催日にドイツにいたことになりますね。不思議な縁です。
※台湾からの出展作品リスト(ノンフィクション部門の42番目に王文萱氏の本が掲載されています。)
●あと2週間!夢二の人間関係を調べ始めると、パンドラの箱を開けたようになる!
大正ロマンを象徴する画家・竹久夢二(1884-1934)の人間関係に眼を向けると、夢二と同時代に活躍した人々との交流が浮かび上がり、大正文化に彩りを添えました。
本展では夢二と関わった文学者、画家、音楽家、出版人及び恋人を紹介し、各人ゆかりの作品や資料展示を通じて、夢二の交流から生じた美と言葉をクローズアップします。あわせてこれらの人々が知るエピソードから、夢二の素顔に迫ります。
【紹介する夢二ゆかりの人々】
秋田雨雀・有島生馬・有本芳水・淡谷のり子・岩田専太郎・巌谷小波・上田龍耳・岡田三郎助・翁久允・小野政方・恩地孝四郎・笠井彦乃・神近市子・河井酔茗・川端康成・岸他万喜・葛原しげる・久米正雄・河本亀之助・西條八十・佐々木カ子ヨ・サトウハチロー・島源四郎・島崎藤村・島村抱月・妹尾幸陽・田河水泡・竹久不二彦・田中恭吉・谷崎潤一郎・徳田秋聲・長田幹彦・中山晋平・野口雨情・野長瀬晩花・萩原朔太郎・藤島武二・藤村耕一・蕗谷虹児・細田源吉・正木不如丘・松井須磨子・三好米吉・望月百合子・柳原白蓮・山田耕筰・山田順子・与謝野晶子・吉井勇・吉屋信子(五十音順)

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