※創刊号(2021.8.8)~第37号(2022.4.10)はこちらをご覧ください。⇒ https://yumejitotaiwan.exblog.jp
※ビジュアル夢二ブログ「夢二と台湾」⇒ https://jasmineproject.amebaownd.com/

 

 

■メッセージ■

24日(土)、東京・西巣鴨の妙行寺で「如月マルシェIN妙行寺」が開催され、制作中の動画「夢二 台湾の印象」を制作する合同会社「きょみず」の鈴木愛子社長の朗読劇とAyako海蘭さんのクリスタルボウルのコラボが演じられました。本堂という特殊な空間でのクリスタルボウルの音色に包まれ、妙行寺に伝わるお岩さんの悲劇が静かに語られる中、秋葉由美子さんの演出による鈴木さんの演技を見ながら、私の中では動画のシナリオのイメージがどんどん固まってくるのがわかり、とても有意義な時となりました。

ところで、妙行寺はもともと四谷にあったお寺。お岩さんを含む墓と一緒に明治42年に移転したとのこと。最近、本堂もそのまま移転してきたことが判明したそうです。

また、明治42年といえば、夢二初の本「夢二画集 春の巻」が洛陽堂から発売され、一気に日本の大衆文化を書き換えた年。不思議な縁はまだまだつづきそうです。

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■竹久夢二の素顔■

●吉屋信子(3)(『竹久夢二』竹久夢二美術館(石川桂子学芸員)監修(河出書房指新社)の「竹久夢二の思い出」より)

(注)本文は、吉屋信子が『私の見た人』(1963年(昭和38)(朝日新聞社)に掲載したものです。

その翌年の春、私は<少女画報>に<花物語>の第一編鈴蘭が採用されて少女小説の舞台を得、やがて大阪朝日新聞に懸賞長編連載、そして、年月が経った。もう暑い日の港屋の店頭のことなど遠い日のたわけたことのように忘れていた。すでに港屋も失せていた。

その間に夢二のうわさは時として伝わった。それは絵の話より女性関係の事だった。奥さんと離婚とか、女子美術の生徒の美貌のひとと悲恋とか、そして山田順子(ゆきこ)(のち徳田秋声の愛人)といっときの恋愛、そのために今までの同棲者兼モデルのお葉さんと別れたとか、夢二時は久遠の女性の青い鳥を追っているようだった。もうそのころは夢二の全盛期は去っていた。その抒情画は時代のテンポからズレてしまった。けれども私たちの少女の日の追憶の押し花のようには残っていた。

それからのある時、新聞の求人広告に「親一人子一人の家庭の家政婦として着実な婦人来談。市外松沢村字松原、竹久夢二」というのが出ていたと、むかし夢二ファンだった人が私に語った。

夢二はそうした生活なのだった。

そして――やがて、はからずも私は夢二にまた会った。(つづく)

■夢二の台湾旅行関係資料の紹介

都合によりお休みします。

 

■夢二の世界■

PART 3 KAWAIIの世界」(「竹久夢二 かわいい手帖」(石川桂子著)より)

56 コラム「大正時代の『なつかしい』&『美しい』 その語意と“かわいい”をめぐって」

1922年(大正11)に創刊された雑誌「令女界」は、夢二が筆をとった抒情画が掲載されて人気を呼んでいました。描かれた少女の姿形やファッションを眼にすると、今は「かわいい」と形容されそうですが、読者の少女たちは「なつかしい」「美しい」という言葉で、投稿欄にコメントを寄せていました。

「なつかしい」は、現代では“昔のことが思い出されて、心がひかれる”という意味での使用が主流ですが、“心がひかれて手放したくない。かわいらしい”の意も持ち、大正期には現代の「かわいい」の感覚で、対象に親しみを感じて使われていました。「美しい」は古語で“かわいい”“愛らしい”の意味も持っています。大正~昭和初期は、幼い子供や動物、あるいは雑貨や小さなものを形容する際は「かわいい」を使い、女性の容貌や衣服を褒める時は「美しい」の方が、一般的に用いられていました。

(投稿欄の例)

・夢二先生のみ絵をおなつかしく思っています。 (愛知・三笠露子)1926年(大正154月号より)
・ゆめじ先生、あのなつかしいなつかしい線の一つ一つ……   (えひめ・つゆどり)1927年(昭和25月号より)
・夢二先生の強いセンチメンタルな、懐かしみのある絵もすきです。  (石川・山路まり子)1929年(昭和43月号より)
・夢の世界に誘い込む様ななつかしい美絵の夢二先生、有がとう存じます。  (横浜・柏葉)1929年(昭和47月号より)
・夢二様のお美しい「晩秋」(中略)可憐などことなく淋しいおとめ。おおこのつぶらな瞳は何想う?  (武林はな子)1927年(昭和21月号より)

・ゆめじさまの「微風の丘」美しき乙女なるかな、そよ風をうけつつよこたわった人のどことなしに愁いがお、 (朝鮮・宍戸きく子)1927年(昭和28月号より)

※「み絵」:絵を丁寧に呼ぶ際に使用され、“御絵”と記された。きれいな絵画という意味もあり、“美絵”とも記載される。大正末~昭和初期に少女雑誌の投稿欄でよく使用されていた。

▼「竹久夢二 かわいい手帖」(石川桂子著)より

本「かわいい手帖」かわいい (2)
 

■夢二の言葉■(☆は書かれたころの夢二の状態等の記載です。)

●「慎みを少し忘れた美しさ」より(『婦人世界』1926年(昭和元)1月号)

「男は法律を作り。女は習慣を作る」です。女の作った習慣が、家庭生活を退屈にしてしまいます。

☆この前年にお葉が去り、新進女流作家山田順子との関係も3ヶ月で破綻して、10月に雑誌「若草」の表紙・デザイン担当となっています。

●高橋しげ宛の手紙より(1932102日)

今はどんな仲の好い夫婦を見ても恋人たちを見ても、何の感覚もありません。楽しそうに見えて実はいろんな不純なものが必ずある人生を知っているからでしょうか。

女に対する感情が希薄になったせいでしょうか、いずれにしても幸福ではありません。だが不幸でもありません。

☆この日付の日、夢二は苦しかったアメリカ西海岸の旅を終え、910日にサンピエトロ港を発ち、タコマ号でヨーロッパへ向かう船上にありました。1010日にハンブルクへ到着します。

 

■夢二情報■

●日比谷図書文化館 盛況の竹久 夢二展【後期】がスタート 区内大学生向けに作品鑑賞ツアーを実施 龍星閣がつないだ夢二の心「出版屋」から生まれた夢二ブームの原点(千代田区)

賞ツアーを実施 龍星閣がつないだ夢二の心「出版屋」から生まれた夢二ブームの原点(令和522日配信)

日比谷図書文化館 盛況の竹久 夢二展【後期】がスタート 区内大学生向けに作品鑑賞ツアーを実施 龍星閣がつないだ夢二の心「出版屋」から生まれた夢二ブームの原点(令和522日配信)

日比谷図書文化館文化財事務室では、令和517日(土曜日)~228日(火曜日)の期間、日比谷図書文化館において竹久 夢二をテーマにした企画展「龍星閣がつないだ夢二の心「出版屋」から生まれた夢二ブームの原点」を開催しています。

22日間の前期展示では、6,000人以上の来場がありました。大盛況を迎えるなか、作品を入れ替え、130日(月曜日)から後期展示がスタートしています。

前期開催前にはプレスツアーを行いましたが、今回は区内大学生に向けて、作品鑑賞ツアーを実施します。取材していただける場合は、26日(月曜日)正午までにご連絡ください。

今回の企画展は、令和441日に新たに区指定文化財となった「龍星閣旧蔵竹久夢二コレクション」のお披露目を兼ねたものです。

https://www.city.chiyoda.lg.jp/koho/kuse/koho/pressrelease/r5/r502/20230202.html

●兵庫公民館主催講座「まなびの学級④本物の美術にふれよう~竹久夢二展~」を開催しました。(「つながる兵庫」)
なんとびっくり。「撮影可」でした。

※この記事に関するお問い合わせ先 兵庫公民館  TEL0952-23-3566

https://www.tsunasaga.jp/hyogo/2023/02/post-554.html

●<プレゼント>竹久夢二展グッズ 来場記念で パンフレットなど23人に(佐賀新聞)

https://www.saga-s.co.jp/articles/-/974536

佐賀新聞社は、県立美術館で開催中の新春特別展「竹久夢二展」の来場記念として、特別展のパンフレットやオリジナルステッカーなど展覧会グッズを30人にプレゼントする。

展覧会は、大正浪漫を象徴する叙情画家竹久夢二の足跡を作品とともに紹介。華やかな美人画、生涯を振り返ったかのような晩年の名品など200点超を展示している。会期は2月12日まで。

プレゼント企画では、特別展のパンフレットが10人、オリジナルステッカー6枚1組が10人、短冊(1枚)が5人、卓上カレンダーが5人に当たる。このうちパンフレット3冊には、8日に展覧会特別企画としてトークショーを行った女優の緒川たまきさんのサインが入る。

当せん品は事務局が抽選で決定し、発送をもって代える。希望者は郵便番号・住所・氏名・年齢・電話番号・展覧会の感想を明記し、はがきかファクスで応募する。会場設置の用紙でも申し込み可能。締め切りは1月31日。宛先は〒8400815 佐賀市天神3―2―23 佐賀新聞プランニング「竹久夢二展」係、ファクス0952294709

●企画展「夢二の楽譜 ―大正・昭和初期の作詞曲と表紙絵―」

 竹久夢二(1884-1934)は、明治末期から昭和初期に活躍した詩人画家です。夢二が作詞した「宵待草」は、多忠亮(おおのただすけ)の作曲により大正7年(1918)に「セノオ楽譜」のシリーズから出版され、大正時代を代表し、今なお愛唱される流行歌となりました。この「宵待草」を現在の歌詞で掲載した夢二の処女詩集『どんたく』は大正2年に刊行され、2023年はその刊行から110年目となります。これを記念して、夢二の楽譜をテーマとした展覧会を開催します。

 本展覧会では、夢二が表紙絵を手がけ、セノオ音楽出版社から発行された「新小唄」や「セノオ楽譜」を中心に、夢二の作詞曲や同時代の楽譜などもあわせて展示します。なお、妹尾 幸次郎筆 竹久夢二宛書簡(昭和9年)も当館初公開します。

https://www.kanazawa-museum.jp/yumeji/exhibit/index.html

●企画展「夢二が描いた 心ときめく花と暮らし」開催!(竹久夢二美術館)16日(金)~326日(日)

日本では古くから、四季折々の花が生活に喜びや潤いを与え、芸術作品の主題として扱われてきました。

画家・詩人として活躍した竹久夢二(1884-1934)も、暮らしの中の花から着想を得て、絵画やデザイン、詩歌などにおいて幅広く表現しました。夢二が描いた花は可憐な姿で鑑賞者を癒してくれます。さらに自身の心情と花の印象が結びついて生まれた詩は、時には香りや触感までも思い出させ、花にまつわる記憶を呼び起こしてくれます。また図案化された花は日用品を装飾して暮らしを彩り、その洗練されたデザインは現代でも高い評価を得ています。

本展では、花をテーマにした夢二作品に加え、明治後期~昭和初期の雑誌より、花を楽しむ文化を展示紹介します。

https://www.yayoi-yumeji-museum.jp/yumeji/exhibition/next.html

 

 

●夢二の雰囲気に包まれてオリジナル懐石を楽しめる!――神楽坂「夢二」

https://www.kagurazaka-yumeji.com/