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■メッセージ■
先日、久々に新宿の歌舞伎町方面に行ってみましたが、あまりの変貌に足がすくんでしまいました。きらびやかで混とんとした不思議な空間がそこにありました。まるで外国か宇宙のどこかに来たような錯覚にとらわれながら歩いていると、次第に今のトレンドの縮図のようなものが見えてきました。
それでも少し奥の方に行くと、昔の街並みを想起させる一角や広告看板が少し残っていますが、とにかく巨大な建物と音と群衆のような人込みとに圧倒されてかなり疲れてしまいました。
1914年、夢二が日本橋呉服町に「港屋絵草紙店」を開いた時も、サイズは今と異なるとしても、当時の大人たちはきっと同じような感覚でいたのかもしれないな、とふと思いました。「昔はよかった、伝統的なものは安全・安心」などと言っても、「昔」を知らない人にとっては何の意味もなさないのかもしれません。「昔」の意義をどのように伝えるか、伝統の中にある新しさについて考えることが必要だな、と思いました。私の能力ではかなり難しそうではありますが。”(-“”-)”
■竹久夢二の素顔■
●堀柳女「二つの思い出」(2 最終回)(『竹久夢二』竹久夢二美術館(石川桂子学芸員)監修(河出書房新社)の「二つの思い出」より)
(注)本文は、堀柳女が『別冊週刊読売』第3巻第1号(1976年(昭和51年)(読売新聞社))に掲載したものです。
ああ、なんてきれいなんだろう!
霧の深い晩でした。それはとっても夢二の好みの風景だったんです。遠景がボウッと霧に呑まれて、まるで夢二先生の絵から抜け出してきたようなお葉さんが、黙って立っていました。
わたしはともかく役目を果たして、皆といっしょに唄を聞きました。とてもいい唄でした。唄もよかったんですが、わたしがそれよりももっと鮮やかに覚えているのはその霧の晩の印象そのものです。深い深い霧の中に、唄も吸い込まれ、三味線も吸い込まれ、さらには唄をやっている小屋ごと吸い込まれていくような、夢のような晩でした。
すばらしい、なにかこの世の出来事とは思えないような、その晩の記憶です。
あとで夢二先生に聞きました。どうしてお葉さんお嫌いになるんです。いや、嫌いでも好きでもない。お葉はぼくが山田順子といる間によそへ嫁いだ。順子と別れてぼくが一人でいると、また一緒になろうと言ってきた。それでいいかね、堀君。と先生はおっしゃっていました。
わたしの夢二先生の思い出は、そういう、チコちゃんの赤い林檎だったり、霧の晩のことだったり、今となっては夢のなかのことのように感じられることばかりです。
(談)(完)
(編者)映画「およう」の中で、お葉が酌をする振りをして山田順子の顔に酒を浴びせるシーンがありましたが、上記の夢二の言を見ると、美人画で名を成した夢二が女心をどうとらえていたのか考えてしまいます。
■夢二の台湾旅行関係資料の紹介
論文「昭和8年の夢二の訪台 ―『台湾日々新報新資料による―」(女子美術短期大学・大学院博士・西恭子)
3 『台湾日日新報』にみられる二つの論説(2)
4月2日(編者注:の夢二日記)には、
猶太人は欧州を滅ぼしはしない、ただ、猶太人が欧州の盟主となるであろう。
と記している。ユダヤ人に対して擁護的であったことは、平成6年(1994)9月16日の『朝日新聞』に「夢二、ユダヤ人脱出手助け」という記事が報じられたことからもわかる。
夢二は、1932年にスイスのバーゼルで開かれたプロテスタント集会に参加して、牧師のF・ノットマイヤーさんらと知り合い、協力を依頼された。その後、夢二はベルリンやウィーン、パリ、リヨン、ミュンヘンなど七か国十数カ所を巡る間、身元引受人がなければドイツ国外に出られなかったユダヤ人の受け入れ先を探し、ジュネーブにある教会の反ナチ活動の本部に報告していた。
明治後半期に、夢二は社会主義結社である平民社の機関紙や『法律新聞』にコマ絵を描いていた。これらのコマ絵は、「貧しいもの」「犯罪人の妻」といった弱い立場の人間に眼を向けている。
ユダヤ人の迫害といったことは、夢二にとって無視することができなかったと思える。
論説では、ナチスの政策によって、ユダヤ人が迫害されたことを述べている。またユダヤ人の国外脱出の手助けをし、擁護的な態度を表明している。これらのことから、夢二のヒューマニスティックな人物像が浮かび上がってくる。(つづく)
■夢二の世界■
PART 4 「夢二のデザイン」(「竹久夢二 《デザイン》モダンガールの宝箱」(竹久夢二美術館 石川桂子著、講談社)より)
6 子ども雑誌
夢二は生涯に、30種以上に及ぶ子ども雑誌に寄稿している。さまざまなイラストレーションをはじめ、童話・童謡の文芸作品まで幅広い仕事を展開した。
子ども雑誌の絵画表現について、夢二は「子どものためには、もつと線の太い、面の大きい、単色の絵(墨とかセピア一色刷りの)が、効果も多いし、所謂教育的であるはず」「毛筆でもつとおほまかに朗らかなものを」(「子供雑誌の絵は如何に扱はるべきか」より 読売新聞大正12年7月11日)と唱えている。自身も子ども雑誌では、柔らかな線と明るい色彩で、読み手である子どもの目線に立った、朗らかで親しみやすい絵を描いていた。
▼「竹久夢二 《デザイン》モダンガールの宝箱」(石川桂子著)より
■夢二情報■
●特別展「大正ロマンの寵児 竹久夢二展 夢二の世界にひたる春」(姫路文学館、2023年4月15日(土曜日)から5月28日(日曜日))
ある時ふと詩の替りに画(え)で自分の心を語ろうとした 「私の投書家時代」より
愁いをたたえた「夢二式美人画」や抒情歌「宵待草」で一世を風靡した画家・詩人の竹久夢二。
夢二が上京した明治30年代は浪漫主義文学の最盛期で、多くの文学青年が詩人に憧れていました。夢二もその一人で、文章を書いては投稿を繰り返します。ある時、友人が持っていた雑誌「中学世界」が募集するコマ絵に応募すると第一等賞となり、その後も当選を重ね、絵を描くことが仕事となりました。
明治42年(1909)、自らの絵に言葉を添えた初の著作『夢二画集 春の巻』を刊行すると大好評を博します。大正元年(1912)には京都をはじめ、日本各地で個展を開き、やがて自らの版画や書籍、便箋や封筒、帯や半襟などを販売する「港屋絵草紙店」を開店し、日常生活の品々にアールヌーボー式の独自のデザインをとり入れ、多くの若者の心をとらえました。
さらに詩や童謡、童話、小説など憧れであった文学の世界にも活躍の場を広げた夢二。
展覧会では、美人画だけでなく、挿絵や装丁用の作品、肉筆原画などを交え、その多岐にわたる創作活動や、播磨とのかかわりについても紹介します。
備考 「コマ絵」とは、文章と関連を持たない飾り絵のこと。
http://www.himejibungakukan.jp/events/event/yumeji2023himeji/
●「乙女デザイン -大正イマジュリィの世界-」(秋田県立美術館、4月22日(土) ~7月2日(日))
イマジュリィ“imagerie”とは、イメージ図像を意味するフランス語で、装幀、挿絵、ポスター、絵はがき、広告、漫画など大衆的な複製としての印刷・版画の総称です。
マスメディアの発達や印刷技術の進歩により、多彩な大衆文化が花開いた大正~昭和初期。さまざまな書籍や印刷物のイマジュリィが人気作家によって描かれ、人々の心を魅了しました。この時代のイマジュリィは、現代のデザインやイラストレーションの原点であるとともに、レトロでノスタルジックな大正ロマンの雰囲気を感じさせるアートとして現在も幅広い世代に愛好されています。
本展では、アール・ヌーヴォー様式の橋口五葉、アール・デコに取り組んだ杉浦非水や小林かいち、少女趣味の高畠華宵、抒情的な乙女像で一世を風靡した竹久夢二、そして秋田出身の橘小夢など、大正イマジュリィを生み出した作家たちを紹介します。
今見てもおしゃれでかわいい、魅力的な大正イマジュリィの世界をお楽しみください。
https://www.akita-museum-of-art.jp/event/show_detail.php?serial_no=370
●「竹久夢二 描き文字のデザイン ―大正ロマンのハンドレタリング―」(竹久夢二美術館)(「美術展ナビ」より)
時代を中心に活躍した画家・竹久夢二(1884~1934)は、グラフィック・デザイナーとしても才能を発揮し、数多くの図案を残した。
本展では、ポスター、書籍装幀、雑誌・楽譜表紙絵等の図案に展開された、夢二による描き文字のデザインを紹介する。ハンドレタリングで表現された個性的な文字に注目し、コンピューターでの制作とは異なる、描き文字ならではの魅力に迫る。
さらに肉筆で残された書、原稿、プライベートに残した日記と手紙の展示を通じて、夢二による多彩な文字の表現が楽しめる。
https://artexhibition.jp/exhibitions/20230302-AEJ1267824/
●夢二郷土美術館が春の企画展「夢二と舞台芸術」を開催。寄贈された夢二作品も初公開(「ガジェット通信」より)
明治時代以降、文明開化により取り入れられた文化の中には、シェイクスピアら外国の作家が手がけた戯曲やオペラ、バレエなどの舞台芸術があった。それらは、歌舞伎や人形浄瑠璃をはじめとした日本古来の芸能と同様、時代に合わせて変容しながら大衆に愛されるようになる。
大正時代を代表するマルチアーティストの竹久夢二氏(1884-1934)は、舞台芸術を愛し、江戸情趣あふれる日本の伝統芸能や異国発祥の舞台が持つ魅力を作品の中で表現。舞台背景を手がけたこともある。
同氏はまた、華やかな舞台上だけでなく、楽屋での様子や練習風景、観客たちの姿もとらえて画題とした。同展では、そんな同氏の大正浪漫の気風漂う舞台芸術の世界を堪能できる。
あわせて、テレビ時代劇や映画の監督として活躍した牧口雄二氏(1936-2021)が愛蔵し、同館に寄贈された竹久夢二氏のコレクションを初公開し、今につながる同氏の影響を紹介する。作品点数は100点以上。会期は3月7日(火)~6月4日(日)だ。また、同展に関連したさまざまなイベントも開催される。
https://getnews.jp/archives/3390360
●本館企画展「夢二と舞台芸術」(3月7日~6月4日、夢二郷土美術館)
明治時代以降、文明開化により取り入れられた文化の中にはシェイクスピアら外国の作家が手がけた戯曲やオペラ、バレエなどの舞台芸術がありました。それらは歌舞伎や人形浄瑠璃をはじめとした日本古来の芸能と同様、時代に合わせて変容しながら大衆に愛されるようになります。
大正時代を代表するマルチアーティストの竹久夢二(1884-1934)は舞台芸術を愛し、江戸情趣あふれる日本の伝統芸能や異国発祥のステージが持つ魅力を作品の中で表現し、舞台背景を手がけたこともありました。華やかな舞台上だけでなく、楽屋での様子や練習風景、観客たちの姿もとらえて画題とした夢二による大正浪漫の気風漂う舞台芸術の世界をご堪能ください。
また、当館に寄贈されたテレビ時代劇や映画の監督として活躍した牧口雄二氏(1936-2021)愛蔵の夢二コレクションを初公開し、今につながる夢二の影響をご紹介します。
https://yumeji-art-museum.com/honkan/
★体験コーナー(随時)★
【「art café 夢二」でお手紙を書きませんか?】
大正ロマンの香りが漂う優雅な空間で大切な人へお手紙を書いてみませんか?
ガラスペンや筆ペン、色えんぴつなどを自由にお使いいただけます。
(夢二切手付きの絵はがきやレターセットもショップで販売しています。)
※筆記具は数に限りがございます。
※感染予防のため、手指の消毒のご協力をお願いいたします。
場所:art café 夢二
●越懸澤麻衣著『大正時代の音楽文化とセノオ楽譜』が発売中!
https://honno.info/kkan/card.html?isbn=9784867800096
●夢二の雰囲気に包まれてオリジナル懐石を楽しめる!――神楽坂「夢二」
https://www.kagurazaka-yumeji.com/
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