※創刊号(2021.8.8)~第37号(2022.4.10)はこちらをご覧ください。⇒ https://yumejitotaiwan.exblog.jp
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■メッセージ■
東京では、結構晴天の続いたゴールデンウィークで、近場の散策やバードウォッチングを楽しんでいましたが、終盤のこどもの日に能登で大地震が発生。残念なことになってしまいました。鯉のぼりの日にナマズが暴れるとは思いませんでしたが、世界情勢、経済状況ばかりでなく、天災も身近にある日本なので、危機管理はしっかりしていないといけないと改めて思い知らされました。被災地の皆様のご無事をお祈りします。
同じ石川県の金沢湯涌夢二館が心配で状況をお聞きしましたが、幸い無事で引き続き開館しているとのことでちょっと安心しました。
「夢二と台湾2023」講演会まであと半年と迫り、準備に拍車がかかってきました。今後ともよろしくご支援のほど、お願いいたします。
▼普段見かけない鳥やあどけない鳥の仕草はいつも心をなごませてくれます。
■竹久夢二の素顔■
●廣田知子「みなと屋の夢二」(1)(『竹久夢二』竹久夢二美術館(石川桂子学芸員)監修(河出書房新社)の「夢二を知る女性たち」より)
(注)本文は、廣田知子が『猫町文庫』第四集 2013年(平成25)猫町文庫」に掲載したものです。
「港屋絵草紙店」を支えた半襟等の刺繍を担当した吉田ソノ(1893年生まれ)の活躍を娘の廣田知子が綴ったもので、日本初のデザイナーズショップの裏側がよく分かる興味深い文章です。
吉田ソノは私の実母である。巳年生まれの実母は生きて居れば今年ちょうど満年齢で百二十歳になる。(編者注:2013年当時)それでも九十四歳迄長命を保った母は最後迄ぼけることもなく何度も鮮明に自分の青春時代を語った。これはその母の実話を時代考証を確かめながら私が書き記したものである。
・鎌倉河岸
吉田ソノが始めて鎌倉河岸の夢二の住居を訪れたのは大正三年十月初旬のことであった。
十月とはいえ、その日が盛夏のように蒸し暑かったのは、彼女が紹介者の友人畑テルを待たせて三度も顔の化粧を塗りかえた記憶から明瞭に思い出すことが出来る。白粉が崩れて小鼻の脇に垂れてくるので、彼女はやむなく今塗ったばかりの練白粉を洗い落とし、テルが後から団扇でばたばた風を送ってくれるのに助けられながら、又下地のクリームをつけることから仕直さなければならなかった。何しろ此の頃の竹久夢二といえば『女学世界』や『淑女画報』の挿絵、或いは絵葉書、雑誌の表紙絵など瑞々しい感性と滲み渡るような哀愁を素地にした美人画を描いて、乙女心を一手に掌握している画家といってよかった。
市電の鎌倉河岸(現在丸ノ内線大手町界隈)で降りてから、一寸奥まった路地の突き当りに夢二の借家があった。座敷で暫く待たされた後、ようやく顔を見せた夢二は、何日も櫛の目をくぐったこともないようなもじゃもじゃ頭とよじれた着流しの浴衣を体に巻きつけていた。笑うと眼もとにいくらか人なつこいやさしさが漂ったが、ソノの思い描いていた男子には程遠く、これがあの夢見るようなたおやめを生み出す作者とは到底考えられない風貌であった。
「まるで田舎のだだみたい」
ソノは完全に期待を裏切られて心の中に田舎弁でそうつぶやいた。彼女の故郷は山形県の一山村である。だだとは大抵野良の畦道を肥桶(こえたご)など肩に担いでひょこひょこ腰で拍子をとりながら歩いてゆく頬かむりをした百姓の中年男、親父さんという程の意味である。これじゃあれ程にまで気遣って三度も化粧直しをするんじゃなかったと、ソノは夢二の風采を予告してくれなかった畑テルを心中で避難していた。この時の夢二との会話のやりとりは視覚の強烈な印象にけ押されてとうに忘れてしまったが、
「それじゃ、明日からでも来て下さい」
という夢二の承諾を得て、ソノと夢二の協力関係は成立した。というのはこの年十月一日に夢二は鎌倉河岸から市電で二つ目の駅である呉服橋前に、みなと屋という小さな店を開店したばかりであった。(つづく)
※「たおやめ」:たおやかな女性。なよなよと優美な女性。
※鎌倉河岸:江戸城築城の際に鎌倉からの石材をここで陸揚げしたことに由来する。1889年(明治22年)に神田区の公式町名となり、1935年(昭和10年)には鎌倉町へと編入された。2019年現在の内神田1、2丁目にあたる。場所は、現在の千代田区、日比谷通りの神田橋のたもと付近に存在した。河岸のあった日本橋川は外濠と隅田川を結び、江戸の外湊と内湊をつないでいた水路である。当時、鎌倉河岸は江戸城本丸に最も近い荷上場であったため、多くの物資が荷揚げされ、問屋街の形成につながった。それに隣接する町は鎌倉町と名付けられ、1657年(明暦3年)の「新添江戸之図」には、すでに「かまくら丁」の名が記載されている。現在その地域は1966年(昭和41年)の町名変更により内神田の一部となっている。(wikipediaより) https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%8E%8C%E5%80%89%E6%B2%B3%E5%B2%B8
■夢二の台湾旅行関係資料の紹介
論文「昭和8年の夢二の訪台 ―『台湾日々新報新資料による―」(女子美術短期大学・大学院博士・西恭子)
3 『台湾日日新報』にみられる二つの論説(3)
(2)「台湾日日新報」(第12072号)
昭和8年11月14日発行・六面の論説
記事は、「台湾の印象―グロな女学生服 竹久夢生」とある。夢二は、台湾からの帰国に今発とうとする扶桑丸の光景を書き記した後で、次の様に続けている。
「台湾には生蕃人と制服を着た日本人が居る」さういふのが私の台湾に対する人文地理学であった。その他に何があるのか、私は知る必要もなかったから、考へても見なかった。つまりこちらでいふ本島人がゐることに気がつかなかったのだ。しかしこれは笑へない。多くの日本人はいつの間にか、本島人の居ない台湾を知るに過ぎなかったのではないか。
その寄ってくるところはその政策のためか、感情か、私は知らない。急に本島人が山の中からでも出てきた見たいに言ふ人があるが、なるほど、来てみると本島人も居るが、制服を着た人間もずいぶん居るのには驚いた。
後藤新平の予言が果たして卓見になるかどうか、次の船までに解るものではない。
本島人はせっせと日本語を勉強せねばならないだらうが、日本人もまた本島人の住宅と衣服に就いて学ぶべきものがあると思ふ。ことに台湾に生活するときに於いて。つまり台湾の風土に適応するために、およそおかしきものは台湾に於ける女の学生の制服である。ああいふ帽子はーさうだあらゆるグロテスクな俗悪醜悪な形容詞をつめこんでもまだ一杯にならないであらう。
* * *
「汽車に注意すべし」といふ立札の(に)を(も)書き換えて「汽車も注意すべし」とあった。この浅いおかしみが、この無邪気な作者に理解されてゐたのではない。
* * *
優秀な人種だと考へることのできる人種だけが優秀なのである。私はまた少し眠くなった。(八年十一月十一日)
夢二は、当時の台湾人の服装について述べ、また台湾総督府の民生長官であった後藤新平に就いて触れている。
論説に「台湾には、生蕃人と制服を着た日本人がいる。」とある。
17世紀以降、台湾に渡来した漢民族の教化に浴し帰順したものを熟蕃と称し、教化に応ぜざるものを生蕃と称した。
これらの呼称は、日本統治の明治時代に入っても受け継がれ、大正時代にこう呼ばれていたが、蕃は野蛮の蛮に通じ民族軽視の呼び方であるとして高砂族と一般に呼ぶようになった。終戦後、中国政府の時代に入ってからは、山地人や山の人と呼ぶようになった。
夢二は、日本に従属していた台湾を民族軽視の呼称と官権的な制服に象徴したとも思える。
日本占領下時代の台湾人の服装についての資料は少ない。今までの調査からは、大正12年(1923)発行の片岡巌著の『台湾風俗誌』の中に「第二章 臺灣人の服装」に中国式から変化していると書かれている。
台湾の女学生の帽子については、旗帽が思い起こされる。
「後藤新平の予言」とは、後藤の著書『日本植民論』(公民同盟出版部 大正4年)から推測できる。後藤は、本書の「台湾占有と台湾統治の大綱」の中で、「日本の国益のために、殖産の推進や鉄道の普及、さらには、民族支配といった政策の方向を示しており、夢二はこれらに関して述べているのではないかと考える。(つづく)
■夢二の世界■
PART 4 「夢二のデザイン」(「竹久夢二 《デザイン》モダンガールの宝箱」(竹久夢二美術館 石川桂子著、講談社)より)
7 雑誌扉
『若草』において、夢二は本文に入る前ページである、扉のデザインも担当した。黒1色で印刷されたページで、夢二はモノクロの画面における最大限の視覚効果を追求した。ペン画の繊細な描線による女性の表現をはじめ、ときには黒と白の色面で幾何学模様を構成するなど、斬新なデザインを試みている。
また雑誌面と号数は、漢字・英字・アラビア数字を駆使した粋なレタリングで、画面のアクセントとなっている。(つづく)
(編者注)夢二の“粋なレタリング”については、現在、竹久夢二美術館で企画展「竹久夢二 描き文字のデザイン ―大正ロマンのハンドレタリング―」が開催されており、多彩な夢二のレタリングの技法が詳しい説明とともに楽しめます。(6月25日迄) https://www.yayoi-yumeji-museum.jp/yumeji/exhibition/now.html
▼「竹久夢二 《デザイン》モダンガールの宝箱」(石川桂子著)より
■夢二情報■
●「新聞小説 夢二の「二筆流」 話と挿絵 企画展 湯涌の美術館」(中日新聞)
明治末期−昭和初期に活躍し女性画や挿絵のイメージが強い金沢ゆかりの詩人画家、竹久夢二(一八八四〜一九三四年)の新聞小説四作品を挿絵とともに紹介する企画展が、金沢市湯涌町の金沢湯涌夢二館で開かれている。一作目の「岬」発表から百年の節目に開催。小説を理解すると、女性画などに込められた真意や夢二の生き様をより味わえるようになる。(室木泰彦)
100年前発表「岬」など4作品
四作品は、明治中期から昭和の戦前まで東京で発刊した「都新聞」(東京新聞=中日新聞東京本社=の前身)で一九二三年八月〜二七年九月に掲載された。夢二初の三部作、「岬」全七十五回(関東大震災ルポルタージュ「東京災難画信」連載で途中一カ月ほど休載)▽「秘薬紫雪」全四十九回▽「風のやうに」全五十七回−と、体験を基にした自伝的小説「出帆」全百三十四回。
三部作は恋愛小説。「岬」の告知で夢二は、貞操について女性三人(モデル、温泉地の娘、舞台女優)を書いたとし、「誰も彼も、岬の方へ急ぐ不幸な人達です」と紹介。最終話で一人目で予定枚数を超え三部作にすると記した。主人公女性の破滅的な男性遍歴などを通して男女関係の機微を描き、挿絵などで見られる人物の寂しい姿に重なる部分が多いという。「出帆」は、予告で「いまいましい実録」を「さっさと洗いざらひ書いちまって」と記した通り、生涯三人の女性と親密な関係を持った体験をほぼ再現している。
国立国会図書館や同館所蔵の都新聞を複写した各第一話を展示。挿絵にあらすじを添え物語の流れが把握できる。「風のやうに」を載せた都新聞の切り抜きも貼ったスクラップブック(同館所蔵)を公開。都新聞の実物もあり、当時の雰囲気を感じることができる。
担当学芸員の川瀬千尋さんは、挿絵を整理中に、同館所蔵の下絵を完成させたとみられる挿絵が「岬」四十九話で使われたことを発見。川沿いの柳が温泉街の風情を伝える絵で、並べてあるため下絵と挿絵の類似性が分かる。川瀬さんは「特に出帆では女性関係のスキャンダルへの自己弁護と解釈できる部分もある一方、体験が現実に近い形で再現され、小説を読むと絵などをより深く理解できるようになる」と話す。
企画展は六月十八日まで。五月六日と六月三日は午後二時から学芸員らが解説。火曜休館(祝日の場合は翌平日)。一般・大学生三百十円、六十五歳以上二百十円(祝日無料)、高校生以下無料など。(問)同館076(235)1112
https://www.chunichi.co.jp/article/684708
●「福山市の美術館で美人画の展示会」(NHK 広島 NEWS
WEB)
明治から昭和初期にかけて描かれた近代美人画の名作を集めた展示会が、福山市で開かれています。
会場の「ふくやま美術館」には、竹久夢二をはじめ、さまざまな作家が明治から昭和初期にかけて描いたおよそ90点の美人画が展示されています。
このうち、竹久夢二の「投扇興」は、的に向かって扇子を投げるお座敷遊びを楽しむ2人の女性を描いた作品で、たおやかな女性の美しさが表現されています。
また、上村松園の作品「桜可里能図」は、晴れ着姿の女性がおともの女性と一緒に花見に出かける様子を描いていて、気品のある女性のたたずまいや、楽しい雰囲気が伝わってくる華やかな作品です。
このほか、江戸時代の浮世絵の影響を受けた作品や、「平家物語」などの文学や歴史上のできごとを題材に描かれた作品なども展示されています。
ふくやま美術館学芸課の中村麻里子次長は、「着物の模様が細かく描かれたり、女性の髪型が時代によって変わったりと、作者によっていろいろな表現があるので発見しながら見てもらいたい」と話していました。
この展示会は、「ふくやま美術館」で来月4日まで開かれています。
https://www3.nhk.or.jp/hiroshima-news/20230503/4000022107.html
(ニュース動画あり)
●特別展「大正ロマンの寵児 竹久夢二展 夢二の世界にひたる春」(姫路文学館、2023年4月15日(土曜日)から5月28日(日曜日))
ある時ふと詩の替りに画(え)で自分の心を語ろうとした 「私の投書家時代」より
愁いをたたえた「夢二式美人画」や抒情歌「宵待草」で一世を風靡した画家・詩人の竹久夢二。
夢二が上京した明治30年代は浪漫主義文学の最盛期で、多くの文学青年が詩人に憧れていました。夢二もその一人で、文章を書いては投稿を繰り返します。ある時、友人が持っていた雑誌「中学世界」が募集するコマ絵に応募すると第一等賞となり、その後も当選を重ね、絵を描くことが仕事となりました。
明治42年(1909)、自らの絵に言葉を添えた初の著作『夢二画集 春の巻』を刊行すると大好評を博します。大正元年(1912)には京都をはじめ、日本各地で個展を開き、やがて自らの版画や書籍、便箋や封筒、帯や半襟などを販売する「港屋絵草紙店」を開店し、日常生活の品々にアールヌーボー式の独自のデザインをとり入れ、多くの若者の心をとらえました。
さらに詩や童謡、童話、小説など憧れであった文学の世界にも活躍の場を広げた夢二。
展覧会では、美人画だけでなく、挿絵や装丁用の作品、肉筆原画などを交え、その多岐にわたる創作活動や、播磨とのかかわりについても紹介します。
備考 「コマ絵」とは、文章と関連を持たない飾り絵のこと。
http://www.himejibungakukan.jp/events/event/yumeji2023himeji/
●「乙女デザイン -大正イマジュリィの世界-」(秋田県立美術館、4月22日(土) ~7月2日(日))
イマジュリィ“imagerie”とは、イメージ図像を意味するフランス語で、装幀、挿絵、ポスター、絵はがき、広告、漫画など大衆的な複製としての印刷・版画の総称です。
マスメディアの発達や印刷技術の進歩により、多彩な大衆文化が花開いた大正~昭和初期。さまざまな書籍や印刷物のイマジュリィが人気作家によって描かれ、人々の心を魅了しました。この時代のイマジュリィは、現代のデザインやイラストレーションの原点であるとともに、レトロでノスタルジックな大正ロマンの雰囲気を感じさせるアートとして現在も幅広い世代に愛好されています。
本展では、アール・ヌーヴォー様式の橋口五葉、アール・デコに取り組んだ杉浦非水や小林かいち、少女趣味の高畠華宵、抒情的な乙女像で一世を風靡した竹久夢二、そして秋田出身の橘小夢など、大正イマジュリィを生み出した作家たちを紹介します。
今見てもおしゃれでかわいい、魅力的な大正イマジュリィの世界をお楽しみください。
https://www.akita-museum-of-art.jp/event/show_detail.php?serial_no=370
●「竹久夢二 描き文字のデザイン ―大正ロマンのハンドレタリング―」(竹久夢二美術館)
大正時代を中心に活躍した画家・竹久夢二(1884-1934)は、グラフィック・デザイナーとしても才能を発揮し、数多くの図案を残しました。
本展では、ポスター、書籍装幀、雑誌・楽譜表紙絵等の図案に展開された、夢二による描き文字のデザインを紹介します。ハンドレタリングで表現された個性的な文字に注目し、コンピューターでの制作とは異なる、描き文字ならではの魅力に迫ります。
さらに肉筆で残された書、原稿、プライベートに残した日記と手紙の展示を通じて、夢二による多彩な文字の表現をお楽しみください。 協力:雪朱里
https://www.yayoi-yumeji-museum.jp/yumeji/exhibition/now.html
●夢二郷土美術館が春の企画展「夢二と舞台芸術」を開催。寄贈された夢二作品も初公開(「ガジェット通信」より)
明治時代以降、文明開化により取り入れられた文化の中には、シェイクスピアら外国の作家が手がけた戯曲やオペラ、バレエなどの舞台芸術があった。それらは、歌舞伎や人形浄瑠璃をはじめとした日本古来の芸能と同様、時代に合わせて変容しながら大衆に愛されるようになる。
大正時代を代表するマルチアーティストの竹久夢二氏(1884-1934)は、舞台芸術を愛し、江戸情趣あふれる日本の伝統芸能や異国発祥の舞台が持つ魅力を作品の中で表現。舞台背景を手がけたこともある。
同氏はまた、華やかな舞台上だけでなく、楽屋での様子や練習風景、観客たちの姿もとらえて画題とした。同展では、そんな同氏の大正浪漫の気風漂う舞台芸術の世界を堪能できる。
あわせて、テレビ時代劇や映画の監督として活躍した牧口雄二氏(1936-2021)が愛蔵し、同館に寄贈された竹久夢二氏のコレクションを初公開し、今につながる同氏の影響を紹介する。作品点数は100点以上。会期は3月7日(火)~6月4日(日)だ。また、同展に関連したさまざまなイベントも開催される。
https://getnews.jp/archives/3390360
●本館企画展「夢二と舞台芸術」(3月7日~6月4日、夢二郷土美術館)
明治時代以降、文明開化により取り入れられた文化の中にはシェイクスピアら外国の作家が手がけた戯曲やオペラ、バレエなどの舞台芸術がありました。それらは歌舞伎や人形浄瑠璃をはじめとした日本古来の芸能と同様、時代に合わせて変容しながら大衆に愛されるようになります。
大正時代を代表するマルチアーティストの竹久夢二(1884-1934)は舞台芸術を愛し、江戸情趣あふれる日本の伝統芸能や異国発祥のステージが持つ魅力を作品の中で表現し、舞台背景を手がけたこともありました。華やかな舞台上だけでなく、楽屋での様子や練習風景、観客たちの姿もとらえて画題とした夢二による大正浪漫の気風漂う舞台芸術の世界をご堪能ください。
また、当館に寄贈されたテレビ時代劇や映画の監督として活躍した牧口雄二氏(1936-2021)愛蔵の夢二コレクションを初公開し、今につながる夢二の影響をご紹介します。
https://yumeji-art-museum.com/honkan/
★体験コーナー(随時)★
【「art café 夢二」でお手紙を書きませんか?】
大正ロマンの香りが漂う優雅な空間で大切な人へお手紙を書いてみませんか?
ガラスペンや筆ペン、色えんぴつなどを自由にお使いいただけます。
(夢二切手付きの絵はがきやレターセットもショップで販売しています。)
※筆記具は数に限りがございます。
※感染予防のため、手指の消毒のご協力をお願いいたします。
場所:art café 夢二
●越懸澤麻衣著『大正時代の音楽文化とセノオ楽譜』が発売中!
https://honno.info/kkan/card.html?isbn=9784867800096
●夢二の雰囲気に包まれてオリジナル懐石を楽しめる!――神楽坂「夢二」
https://www.kagurazaka-yumeji.com/
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