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■メッセージ■
5月12日(金)に浅草寺に行って見ました。驚いたことに仲見世はまるで初詣のような人出。しかも和服姿の若い女性がたくさんいて、大変賑やかでした。
人の流れに乗ってしばらく本堂に向かって歩いてくと、すれ違う人の言葉に日本語があまり聞こえない。それも英語がたまにあるだけであとは中国語だったり、東南アジア風だったり、スペイン語風だったりしていました。まさに人種のるつぼ状態です。
参拝帰りに寄った土産屋で、「ものすごい人出ですね。やっぱり平日に来た方がよかった」と言ったら、真顔で「今日は平日ですけど」と言われ、状況の凄さにあらためて気づきました。その後は「すいません」より「Excuse me」と言うようにしながら、土日はきっと大渋滞だろうな、と思いつつ家路につきました。
▼仲見世は大渋滞。
▼手前に写っているのはほとんど外国人観光客。
▼このドリンク屋台のおじさんはほとんど英語です。「これがレモン、これがストロベリー、
それとブルー・ハワイ」と調子よく説明すると、外国人は「ブルー・ハワイ?」と目を白黒。
撮影していて吹き出してしまいました。寅さんの世界が現実になっています。
■竹久夢二の素顔■
●廣田知子「みなと屋の夢二」(1)(『竹久夢二』竹久夢二美術館(石川桂子学芸員)監修(河出書房新社)の「夢二を知る女性たち」より)
(注)本文は、廣田知子が『猫町文庫』第四集 2013年(平成25)猫町文庫」に掲載したものです。
「港屋絵草紙店」を支えた半襟等の刺繍を担当した吉田ソノ(1893年生まれ)の活躍を娘の廣田知子が綴ったもので、日本初のデザイナーズショップの裏側がよく分かる興味深い文章です。
みなと屋というのは当時すでに籍を抜いていた彼の最初の妻たまきのために、夢二が彼女の自活の道を配慮して開店した店であった。だから和紙に薄紙で印刷された案内状も、差出人は彼女の元の姓岸たまきとなって居り、水茎の跡も鮮やかな毛筆書きの文面は次の様にしたためられていた。
下町の舗道にも秋がまゐりました。港屋はいきな木版絵や、かあいゝ石版画や、カードや、絵本や、詩集や、その他、日本の娘さんたちに向きそうな絵日傘や、人形や、千代紙や、半襟なぞを商う店でございます。
女の手ひとつでする仕事ゆえ不行届がちながら、街が片影になりましたらお散歩かたがたお遊びにいらしてくださいまし。
吉日、外濠線呉服橋詰 港屋事 岸たまき
ここに記されている品物以外にも絵入巻紙と封筒、祝儀袋、風呂敷、帯、浴衣など、すべて夢二のデザインになるオリジナルな品々に加えて、治兵衛や小春の首絵など肉筆の役者絵も多数商いされていた。ソノの担当した仕事はその中の半襟だけで、夢二の描いた下絵に当時輸入されて間もないミシンによる刺繍をほどこし、手刺繍とは一味違う新奇な物珍しさと手軽さを狙って売り出そうという夢二のアイデアであった。(つづく)
▼港屋絵草紙店(『竹久夢二』竹久夢二美術館(石川桂子学芸員監修)より)
■夢二の台湾旅行関係資料の紹介
論文「昭和8年の夢二の訪台 ―『台湾日々新報新資料による―」(女子美術短期大学・大学院博士・西恭子)
4 東方文化協会の台湾支部設立記念大講演会の竹久夢二の演説「東西女雑感」(1)
夢二は、東方文化協会の台湾支部設立の大講演会で、「東西女雑感」という演説をしている。
また、夢二は『文芸』(昭和8年11月1日発行))に、似たような題名である「東西女ばなし」という論説を掲載している。本論は、文章末に「八年十月」と記している。
この演説と論説は日付と題名が近似している。論説は、異国の人々に日本文化について知らせる内容であり、演説調に書かれている。ただし中略した箇所が多く全内容を把握できるものではない。しかし、本論説内容が講演会で使用されたとも考えられ、また日本の読者用にリライトされたとも推察できる。
「東西女ばなし」 竹久夢生」
(中略とも原資料のまま)
私が旅にいた三年が(ママ)ほどの間に、日本は大変な変わりようである。女性の生活もまたその街上に見る服装の如くおそらく進歩転向したであろう。帰来、私はまだ女性と口をきく機会を持たないので、課せられた主題のある部分にしか答へることが出来まいと思う。
なにしろ外国と日本とが地利的にも商業的にもこんなに近い今日、お互いに珍しい物も新しいこともあり得ない。ウエブした頭の髪に櫛を入れないで突立てた無帽あま色の日本娘を、京都寂光院で見つけても、会津若松の古風な赤絵蝋燭をチエツコスロバカイヤのシヨフ店で見つけても、吾々はありふれた光景として眺める。
とりあえず、ある外国雑誌に応へた「日本の服装における愛の表示」という一文を引いて話をすすめよう。
諸君は日本の玩具で「言わざる聞かざる見ざる」即ち三猿を御存じであろう。(註、この玩具は昨今欧州で非常な人気を博している。)これは吾々の生活の上で何事も言はず聞かず見ず、平穏無事に日を暮らす消極的方法を教えたもので、日本が東方の孤島に隠棲するために考えた徳川幕府の内政的御空托の一である。(中略)良人が戦場に赴く時妻は涙をかくし、パンが食へなくて母子心中するときにも笑うこと等が、美談とされた。そういう訓練をうけた日本の婦人は、何事もつつましくすべて心の奥に秘めて、男を愛する表情をさえ怺(こら)えて隠した。男が「あなたなしには生きていられない」と告白したとしても、日本の娘は袖をいじりながら「まあ」と言うのが精一杯の答えである。こういう特質が建築や服装を決定したのか、服装その他の生活条件がかかる愛の表示をうんだものかに就いて考えて見る。(中略)(つづく)
※東方文化協会台湾支部設立の大講演会が開催された場所は、1927年(昭和2)5月13日に改名された「台湾総督府台北医学専門学校」である。
■夢二の世界■
PART 4 「夢二のデザイン」(「竹久夢二 《デザイン》モダンガールの宝箱」(竹久夢二美術館 石川桂子著、講談社)より)
8 タイトルカット
『新少女』は、主幹・羽仁もと子をはじめ、編集長の河合酔茗(すいめい)、歌人・与謝野晶子らが、少女の豊かで健全な生活と思想の育成のため、執筆に力を注いでいた。
それぞれの作家による読み物ページには、まず巻頭に題字が印刷されるが、その題字の上下スペースに、夢二による気の利いたイラストが施された。夢二は同時に、本文の挿絵も手がけていたが、タイトル部分では、読者の関心を惹くような、少女向けの可愛いらしいデザインながら、内容を的確に表すシンプルなイラストを心がけた。
▼「竹久夢二 《デザイン》モダンガールの宝箱」(石川桂子著)より
■夢二情報■
●「新聞小説 夢二の「二筆流」 話と挿絵 企画展 湯涌の美術館」(中日新聞)
明治末期−昭和初期に活躍し女性画や挿絵のイメージが強い金沢ゆかりの詩人画家、竹久夢二(一八八四〜一九三四年)の新聞小説四作品を挿絵とともに紹介する企画展が、金沢市湯涌町の金沢湯涌夢二館で開かれている。一作目の「岬」発表から百年の節目に開催。小説を理解すると、女性画などに込められた真意や夢二の生き様をより味わえるようになる。(室木泰彦)
100年前発表「岬」など4作品
四作品は、明治中期から昭和の戦前まで東京で発刊した「都新聞」(東京新聞=中日新聞東京本社=の前身)で一九二三年八月〜二七年九月に掲載された。夢二初の三部作、「岬」全七十五回(関東大震災ルポルタージュ「東京災難画信」連載で途中一カ月ほど休載)▽「秘薬紫雪」全四十九回▽「風のやうに」全五十七回−と、体験を基にした自伝的小説「出帆」全百三十四回。
三部作は恋愛小説。「岬」の告知で夢二は、貞操について女性三人(モデル、温泉地の娘、舞台女優)を書いたとし、「誰も彼も、岬の方へ急ぐ不幸な人達です」と紹介。最終話で一人目で予定枚数を超え三部作にすると記した。主人公女性の破滅的な男性遍歴などを通して男女関係の機微を描き、挿絵などで見られる人物の寂しい姿に重なる部分が多いという。「出帆」は、予告で「いまいましい実録」を「さっさと洗いざらひ書いちまって」と記した通り、生涯三人の女性と親密な関係を持った体験をほぼ再現している。
国立国会図書館や同館所蔵の都新聞を複写した各第一話を展示。挿絵にあらすじを添え物語の流れが把握できる。「風のやうに」を載せた都新聞の切り抜きも貼ったスクラップブック(同館所蔵)を公開。都新聞の実物もあり、当時の雰囲気を感じることができる。
担当学芸員の川瀬千尋さんは、挿絵を整理中に、同館所蔵の下絵を完成させたとみられる挿絵が「岬」四十九話で使われたことを発見。川沿いの柳が温泉街の風情を伝える絵で、並べてあるため下絵と挿絵の類似性が分かる。川瀬さんは「特に出帆では女性関係のスキャンダルへの自己弁護と解釈できる部分もある一方、体験が現実に近い形で再現され、小説を読むと絵などをより深く理解できるようになる」と話す。
企画展は六月十八日まで。五月六日と六月三日は午後二時から学芸員らが解説。火曜休館(祝日の場合は翌平日)。一般・大学生三百十円、六十五歳以上二百十円(祝日無料)、高校生以下無料など。(問)同館076(235)1112
https://www.chunichi.co.jp/article/684708
●「福山市の美術館で美人画の展示会」(NHK 広島 NEWS
WEB)
明治から昭和初期にかけて描かれた近代美人画の名作を集めた展示会が、福山市で開かれています。
会場の「ふくやま美術館」には、竹久夢二をはじめ、さまざまな作家が明治から昭和初期にかけて描いたおよそ90点の美人画が展示されています。
このうち、竹久夢二の「投扇興」は、的に向かって扇子を投げるお座敷遊びを楽しむ2人の女性を描いた作品で、たおやかな女性の美しさが表現されています。
また、上村松園の作品「桜可里能図」は、晴れ着姿の女性がおともの女性と一緒に花見に出かける様子を描いていて、気品のある女性のたたずまいや、楽しい雰囲気が伝わってくる華やかな作品です。
このほか、江戸時代の浮世絵の影響を受けた作品や、「平家物語」などの文学や歴史上のできごとを題材に描かれた作品なども展示されています。
ふくやま美術館学芸課の中村麻里子次長は、「着物の模様が細かく描かれたり、女性の髪型が時代によって変わったりと、作者によっていろいろな表現があるので発見しながら見てもらいたい」と話していました。
この展示会は、「ふくやま美術館」で来月4日まで開かれています。
https://www3.nhk.or.jp/hiroshima-news/20230503/4000022107.html
(ニュース動画あり)
●特別展「大正ロマンの寵児 竹久夢二展 夢二の世界にひたる春」(姫路文学館、2023年4月15日(土曜日)から5月28日(日曜日))
ある時ふと詩の替りに画(え)で自分の心を語ろうとした 「私の投書家時代」より
愁いをたたえた「夢二式美人画」や抒情歌「宵待草」で一世を風靡した画家・詩人の竹久夢二。
夢二が上京した明治30年代は浪漫主義文学の最盛期で、多くの文学青年が詩人に憧れていました。夢二もその一人で、文章を書いては投稿を繰り返します。ある時、友人が持っていた雑誌「中学世界」が募集するコマ絵に応募すると第一等賞となり、その後も当選を重ね、絵を描くことが仕事となりました。
明治42年(1909)、自らの絵に言葉を添えた初の著作『夢二画集 春の巻』を刊行すると大好評を博します。大正元年(1912)には京都をはじめ、日本各地で個展を開き、やがて自らの版画や書籍、便箋や封筒、帯や半襟などを販売する「港屋絵草紙店」を開店し、日常生活の品々にアールヌーボー式の独自のデザインをとり入れ、多くの若者の心をとらえました。
さらに詩や童謡、童話、小説など憧れであった文学の世界にも活躍の場を広げた夢二。
展覧会では、美人画だけでなく、挿絵や装丁用の作品、肉筆原画などを交え、その多岐にわたる創作活動や、播磨とのかかわりについても紹介します。
備考 「コマ絵」とは、文章と関連を持たない飾り絵のこと。
http://www.himejibungakukan.jp/events/event/yumeji2023himeji/
●「乙女デザイン -大正イマジュリィの世界-」(秋田県立美術館、4月22日(土) ~7月2日(日))
イマジュリィ“imagerie”とは、イメージ図像を意味するフランス語で、装幀、挿絵、ポスター、絵はがき、広告、漫画など大衆的な複製としての印刷・版画の総称です。
マスメディアの発達や印刷技術の進歩により、多彩な大衆文化が花開いた大正~昭和初期。さまざまな書籍や印刷物のイマジュリィが人気作家によって描かれ、人々の心を魅了しました。この時代のイマジュリィは、現代のデザインやイラストレーションの原点であるとともに、レトロでノスタルジックな大正ロマンの雰囲気を感じさせるアートとして現在も幅広い世代に愛好されています。
本展では、アール・ヌーヴォー様式の橋口五葉、アール・デコに取り組んだ杉浦非水や小林かいち、少女趣味の高畠華宵、抒情的な乙女像で一世を風靡した竹久夢二、そして秋田出身の橘小夢など、大正イマジュリィを生み出した作家たちを紹介します。
今見てもおしゃれでかわいい、魅力的な大正イマジュリィの世界をお楽しみください。
https://www.akita-museum-of-art.jp/event/show_detail.php?serial_no=370
●「竹久夢二 描き文字のデザイン ―大正ロマンのハンドレタリング―」(竹久夢二美術館)
大正時代を中心に活躍した画家・竹久夢二(1884-1934)は、グラフィック・デザイナーとしても才能を発揮し、数多くの図案を残しました。
本展では、ポスター、書籍装幀、雑誌・楽譜表紙絵等の図案に展開された、夢二による描き文字のデザインを紹介します。ハンドレタリングで表現された個性的な文字に注目し、コンピューターでの制作とは異なる、描き文字ならではの魅力に迫ります。
さらに肉筆で残された書、原稿、プライベートに残した日記と手紙の展示を通じて、夢二による多彩な文字の表現をお楽しみください。 協力:雪朱里
https://www.yayoi-yumeji-museum.jp/yumeji/exhibition/now.html
●夢二郷土美術館が春の企画展「夢二と舞台芸術」を開催。寄贈された夢二作品も初公開(「ガジェット通信」より)
明治時代以降、文明開化により取り入れられた文化の中には、シェイクスピアら外国の作家が手がけた戯曲やオペラ、バレエなどの舞台芸術があった。それらは、歌舞伎や人形浄瑠璃をはじめとした日本古来の芸能と同様、時代に合わせて変容しながら大衆に愛されるようになる。
大正時代を代表するマルチアーティストの竹久夢二氏(1884-1934)は、舞台芸術を愛し、江戸情趣あふれる日本の伝統芸能や異国発祥の舞台が持つ魅力を作品の中で表現。舞台背景を手がけたこともある。
同氏はまた、華やかな舞台上だけでなく、楽屋での様子や練習風景、観客たちの姿もとらえて画題とした。同展では、そんな同氏の大正浪漫の気風漂う舞台芸術の世界を堪能できる。
あわせて、テレビ時代劇や映画の監督として活躍した牧口雄二氏(1936-2021)が愛蔵し、同館に寄贈された竹久夢二氏のコレクションを初公開し、今につながる同氏の影響を紹介する。作品点数は100点以上。会期は3月7日(火)~6月4日(日)だ。また、同展に関連したさまざまなイベントも開催される。
https://getnews.jp/archives/3390360
●本館企画展「夢二と舞台芸術」(3月7日~6月4日、夢二郷土美術館)
明治時代以降、文明開化により取り入れられた文化の中にはシェイクスピアら外国の作家が手がけた戯曲やオペラ、バレエなどの舞台芸術がありました。それらは歌舞伎や人形浄瑠璃をはじめとした日本古来の芸能と同様、時代に合わせて変容しながら大衆に愛されるようになります。
大正時代を代表するマルチアーティストの竹久夢二(1884-1934)は舞台芸術を愛し、江戸情趣あふれる日本の伝統芸能や異国発祥のステージが持つ魅力を作品の中で表現し、舞台背景を手がけたこともありました。華やかな舞台上だけでなく、楽屋での様子や練習風景、観客たちの姿もとらえて画題とした夢二による大正浪漫の気風漂う舞台芸術の世界をご堪能ください。
また、当館に寄贈されたテレビ時代劇や映画の監督として活躍した牧口雄二氏(1936-2021)愛蔵の夢二コレクションを初公開し、今につながる夢二の影響をご紹介します。
https://yumeji-art-museum.com/honkan/
★体験コーナー(随時)★
【「art café 夢二」でお手紙を書きませんか?】
大正ロマンの香りが漂う優雅な空間で大切な人へお手紙を書いてみませんか?
ガラスペンや筆ペン、色えんぴつなどを自由にお使いいただけます。
(夢二切手付きの絵はがきやレターセットもショップで販売しています。)
※筆記具は数に限りがございます。
※感染予防のため、手指の消毒のご協力をお願いいたします。
場所:art café 夢二
●越懸澤麻衣著『大正時代の音楽文化とセノオ楽譜』が発売中!
https://honno.info/kkan/card.html?isbn=9784867800096
●夢二の雰囲気に包まれてオリジナル懐石を楽しめる!――神楽坂「夢二」
https://www.kagurazaka-yumeji.com/
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