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■メッセージ■

最近右ひざが痛くて歩きにくく、どうも腰痛の痛さではないので、昨日は思い切って病院に行きました。痛さの原因は簡単でした。膝の軟骨の一部がすり減って無くなり、骨と骨が直接ぶつかっていたのです。”(-“”-)” 再生不能。サプリで軟骨が急に増えるわけがないし、筋力をつけることくらいしかやることがないそうで、痛くて歩けなくなるようだったら手術して人工関節にする方法がある、ということで終わり。

仕方がないので、右膝かばいながら横浜に行き、停泊中の「にっぽん丸」などの写真を撮って歩き、中華街の関帝廟にお参りしてから飲み放題付きの飯店で遅めの昼食=一人宴会をしました。

最近、台湾のテイクアウトの店が急激に増えたようで、タピオカミルクティー片手にでかい鶏のから揚げ(鶏排(ジーパイ))などを食べ歩く若者(修学旅行生もいました)がいっぱい。まるで明るい夜市といった風景です。

それとやたらに目立つのが占いのお店。これも台湾で大ブームだとか。

呼び込みのおばさんが可愛い赤ちゃんを抱いていたので、それにつられて酔った勢いで1軒入ってみました。

聞いたのは、①夢二が持って行った絵はどこにあるか、ということと、②11月の台湾講演会がうまく行くかということ。これは意外に面白い結果が出ました。

一通り講演会のことを説明していると、占い師のお姉さんはこの話に感動してしまい、占いに入るまでにいろんな話をして相当長くなってしまい、「がんばってください」と励まされる始末。

それからおもむろにタロットカードを取り出し、まず、①夢二の絵の行方を占いました。僕の考えでは、売れた絵は、台湾にいた日本人か台湾人の金持ちが買い、1945年の台北の大空襲で焼けてしまったか、誰かの蔵の中に残っているか、日本人が本土に持って帰った。そして売れ残った絵は、展覧会場から基隆港に行く間に盗まれたか、夢二が乗り遅れた船に積載され、神戸港に到着した後、持主が船に乗っていなかったため盗まれたのではないかと話しました。

ところが、占い師の口から意外な言葉が飛び出しました。「絵の一部は残っているが、日本にも台湾にも中国にもない。それ以外の国にある」というのです。これは全くの想定外で、大いに参考になりました。それは第三国人が買って本国に持ち帰ったか、転売されたということでしょうか。いずれにしても探す範囲が広がってしまいました。

そして、もう一つの11月の講演会ですが、成否については「あなたが落ち着いて準備をすれば成功します」と言われました。まあ、失敗しますとは言わないだろうな、とちょっと眉唾モノ、と思っていましたが、そのあと、これもまた意外な結果に。

「もし、台湾側でイベントに関わっている女性がいたら、その人との連携をしっかり保つことが必要です。これは重要です。」ということでした。台湾の王文萱さんの存在は全く話していなかったので驚きました。

というわけで、横浜中華街から練馬までず~っと寝たまま副都心線で帰ってきて、夕飯時にまた一杯やって幸せな気分で寝ました。(^^♪

まあ、膝の方はどうせ治らないようなので、これから筋力トレーニングをしながら頑張ることにします。歩けなくなったら人工関節。人工軟骨があって何度も取り換えられるといいんだけどな。。。

▼「にっぽん丸」
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▼横浜中華街
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■竹久夢二の素顔■

●廣田知子「みなと屋の夢二」(9)(『竹久夢二』竹久夢二美術館(石川桂子学芸員)監修(河出書房新社)の「夢二を知る女性たち」より)

(注)本文は、文筆家の廣田知子が『猫町文庫』第四集 2013年(平成25)猫町文庫」に掲載したものです。

・夢二の画室

 鎌倉河岸での夢二の画室は二階の八畳の間が当てられていた。東南にぐるりと縁側のついた風通しも日当たりもいい和室で、スケッチブックを何冊も放り込んだ一抱えもあるようような籐の丸籠が五つ六つ、部屋や廊下のあちこちに一見無造作に置かれていた。その他美術雑誌、描きかけのポスター、封筒や絵葉書などの小物、絵具などで足の踏み場もない有り様であった。掃除をするばあやが見かねて一寸でも品物の位置を変えようものなら、

「ばあや、僕の部屋はいくら汚れてもかまわないからさわらないでくれよ。どの絵がどこにあるかっているのが分からなくなると、今度絵を描くとき困るんだから」

と、いらいらした声で苦情を並べ立てていた。他人から見れば乱雑極まりない部屋も、夢二の頭の中ではきちんと整理が行き届いているらしく、いざ作品の制作ともなると、あちこちの丸籠の中からスケッチブックを選び出して草花の写生や風景を画面に加筆していくのだった。

「ソノちゃん。今パパさんが絵を描き始めたから見に行ってらっしゃい」

と、あるときたまきがみなと屋の店に来てソノと店番の花ちゃんに告げたことがある。二人の留守中はたまきが一人で店番を引き受けるというので、ソノと花ちゃんが急いで鎌倉河岸の本宅へ駆けつけると、夢二は八畳の間の中央を絵を描く分だけ片付けて、縦横半間四角の衝立を置き、舞妓の立ち姿を描き始めていた。例の見慣れたたまきそっくりの容姿に加えて、高いこっぽり(ママ)を履いただらりの帯の舞妓である。余程精神を集中させているせいか夢二は傍に座って見物している二人の娘に一言の言葉も掛けず、昼過ぎから夕方頃迄かかって一気にその絵を完成させた。最後に硯に墨をすって右下の隅に署名し捺印すると、二人の娘も息抜く暇も無い緊張感から解放されてほーっと深い溜息をついた。

「きれいねえ」

「素敵だわぁ」

とささやき合う娘達に、夢二も我に返ったように、

「そうかい」

と壁に絵を立てかけて近づいたり離れたり、方角を変えてしばらく眺めていたが、やがて、

「ばあや。車を呼んでくれよ」

と命じておいて、自分はあわただしく着替えをすますと、夕食もとらず、その絵を抱えてふいっとどこかへ出かけてしまうのだった。(つづく)

 

■夢二の台湾旅行関係資料(4)

 先日日本橋誠品書店で見つけた『蓬莱島余談 台湾・客船紀行集』(内田百閒、中公文書)は、夢二の訪台を推測する上で非常に重要な資料となりました。

これは内田百閒が日本郵船の嘱託となり、1939年(昭和1411月中旬に訪台した時の様子について様々な雑誌等に書いた小文を集めたもの。驚いたことに百閒は、夢二と同じ大和丸で神戸から基隆に渡り、その後は、夢二と鐡道ホテルで再会した藤島武二と同様、夜行で台南に向かっています。当時台湾全土が観光ブームとなっていて、台湾島内の鉄道を中心とした交通がかなり発達していたことがよく分かります。夢二の訪台は百閒の5年前ですが、大和丸や当時の人々の様子がよく分かる上、季節もほぼ同じであり、夢二や武二がその当時どんなものを見たのかを推測するのに非常に役立つと思われるため、ここにご紹介します。

・大和丸(『大洋』19401月号)

 ひる前に神戸の桟橋から郵船大和丸に乗った。船の中が何となくむしむしするのは人いきれ計りではないらしい。十一月になっているのにこの調子では、台湾に近づいてから先が案じられると思った。受持の給仕の案内してくれた私の船室におさまり、一服して見たが、外がざわざわするので落ちつかないから又甲板に出た。やあやあと云って貞さんが近づいて来た。手に花束を持っているので甚だ晴れがましい。貞さんは神戸と晩香坡(バンクーバー)とに貿易の店を持っている大紳士であるが、私の幼友達であって、小学校の一年生の時教場で小便を垂れた。旧稿の思い出の中にその事を書いておいたら、若い者や家のお子さん達がそれを読んだらしい。ああ云う事を書くから自分は困ると云って貞さんは私をなじったが、その時の話が私の記述と一致しないので、貞さんは小学校の時私の知らない別の機会に、少くとももう一度はそれをやったと云う事が判明した。

 貞さんは晩香坡と神戸の店を往復する為にしょっちゅう沙士(シアトル)航路の郵船に乗るそうである。船に馴れているから大和丸の見送りに来ても、そこいらを自分の家の様に歩き廻った。何処へ行ったかと思っていると私の部屋に戻って来て、ベルを押して給仕を呼びつけ、自分の持って来た花を鏡の前に生けておけと命じた。この部屋は中中いい、特等室の様だと云って褒めてくれた。そう云われて見るとベッドの外にソファもあって、私一人の専用なのだから豪奢な気持がする。貞さんは又給仕を呼んで、君は写真がうつせるかと尋ねた。給仕がうつせると云うので、自分の持って来た写真機を渡し、私を手すりの傍や階段の影や方方へ引っ張り廻して、一緒に写真をうつした。必ず前には浮袋を置き、洋服の襟には持って来た野菊の花を折って自分も挿し私にも挿してくれた。五十おやじが見っともない話だと思ったけれど、ハイカラ紳士には当たり前の事なのかも知れない。本当は美人が挿してくれるものなのだが、生憎いないから自分が挿してやると貞さんが云ったのは、言い訳なのだか恩に着せたかその区別すら私には判然しない。照れ臭い思いをして給仕の前に起っている間に、昔田舎の高等学校の生徒だった当時、東京から赴任してきた英語の先生が、午休みなどにテニスをする時は、必ず胸にコスモスの花を一輪挿していたのを思い出した。その先生は今度私が東京を立つ少し前に亡くなったと云う事が新聞に載っていた。(つづく)

百閒(うちだ ひゃっけん(1889年〈明治22年〉529 - 1971年〈昭和46年〉420日)岡山市生まれ。日本の小説家、随筆家。本名榮造󠄁。東京帝国大学独文科を卒業。漱石山房では芥川龍之介や久米正雄を識る。1916年(大正5年)に陸軍士官学校ドイツ語学教授に任官する。1917年(大正6年)、岩波書店版『夏目漱石全集』の校閲に従事。別号は百鬼園(ひゃっきえん)。夏目漱石の門下生の一人で、夢の光景のように不可解な恐怖を幻想的に描いた小説や、独自の論理で諧謔に富んだ随筆を多数執筆し、名文家として知られる。号の「百閒」は、故郷岡山にある旭川の緊急放水路の百間川から取ったもので、当初は「百間」と表記していたが、後に「百閒」に改めた。代表作に『冥途』『旅順入城式』『百鬼園随筆』『阿房列車』など。(wikipediaより)

※台湾・台北市内の長榮海事博物館(Evergreen Maritime Museum)の展示の一つに「日本時期商船」というコーナーがあって、 「台湾航線船舶紹介 (Introduction of Taiwanese Shipping Routes)」および「台湾航路紹介 (Introduction to Taiwan Sea Routes)」と題するパネルが展示されている。そこには、戦前に日本-台湾航路に就航した主要船舶として、 「高千穂丸 (大阪商船)」、「瑞穂丸 (左上)」、「香取丸 (日本郵船)」、「大和丸」の船舶絵葉書と共に、4隻のプロフィールが紹介されている。
・台湾航路の主要船舶(大和丸の部分)

「大和丸はかつてはイタリア船で、9,655トン、乗客定員1,068名であった。大和丸と名付けられ日本の郵便船となり、 基隆と神戸の間に就航した。1941913日に、米国の潜水艦により中国沿岸の舟山島(Zhoushan Island; 中国の 上海南方、寧波東方、杭州湾の東南方に位置する島)の東方海域で爆撃を受け沈没した。絵葉書提供:国家図書館。 絵葉書には「近海郵船株式会社 神戸基隆線 大和丸 総噸数壹萬噸」と記される。」

(編者注)編者が61日に訪れた台湾大学医学人文博物館の斜め前に、東門のロータリーに面したところに長榮海事博物館がありました。時間の関係で訪問を見送ったら次回は入館しようと考えています。ちなみに大和丸は約10000トン、夢二が欧州からの帰りと台湾からの帰りに乗った靖国丸は、横浜に係留されている氷川丸と同サイズの12000トンクラスです。

▼東門
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▼長榮海事博物館(東門の後ろに見えるビル
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▼大和丸

【船(大和丸)】1 (2)

▼『臺灣航路案内』

「台湾航路案内」1台湾航路案内(日本郵船)2

■夢二の世界■
PART 4
「夢二のデザイン」(「竹久夢二 《デザイン》モダンガールの宝箱」(竹久夢二美術館 石川桂子著、講談社)より
13 児童書

夢二の自伝によれば、大正の初め、夢二は「子供の雑誌へ絵を描いている殆ど唯一の絵かき」だったこともあり、「『君は一つ子供のための絵かきになつてくれたまへ』と日本の子供の父と言はれる児童文学の大家からすすめられた」という。この大家とは『お伽パラダイス』の作者・巌谷小波で、夢二の技量を高く買っていた。このほかにも夢二は、島崎藤村、小野政方の童話本も装幀し、子どもの姿や動物をモチーフに、明るい色使いで、読者が物語のイメージを豊かにふくらますことができるようなデザインを残している。

 そして、夢二自身も童話・童画の著作を残している。文章はもちろん、装幀にも力を注ぎ、夢二は子どもたちが喜ぶ本づくりに心を尽くしたのである。(つづく)

▼「竹久夢二 《デザイン》モダンガールの宝箱」(竹久夢二美術館 石川桂子著)より
「児童書」1 (2)
「児童書」2 (2)

 

■夢二情報■

●企画展「夢二が見つめた1920年代」竹久夢二美術館で、関東大震災からモダンガールまで夢二作品を紹介(FASHION PRESSより)

企画展「夢二が見つめた1920年代 ─震災からモダンガールの表現まで─」が、東京の竹久夢二美術館にて、202371()から924()まで開催される。

大正時代から昭和時代へと変わる1920年代は、日本の近代化に伴う様相が広く人びとに浸透していった時代であった。この時期、竹久夢二は、夢二式美人と呼ばれるセンチメンタルな女性像で人気を集める一方、急速に変化する社会を反映した作品も手がけている。

企画展「夢二が見つめた1920年代 ─震災からモダンガールの表現まで─」は、20年代における夢二の創作を紹介する展覧会。関東大震災にまつわるスケッチとエッセイ、当時流行したモダンガールを描いた作品などを展示する。

1923年に発生した関東大震災は、江戸時代の面影を残す東京に甚大な被害をもたらす一方、大規模な復興事業により新たな建築などの整備が進められ、東京は近代的な都市へと変貌してゆくこととなった。本展では、夢二が被災地・東京を描いた「東京災難画信」などを展示し、震災により変わり果てた風景や生活の様子、復興へ向けての動きに光をあてる。

大正時代は、女性の社会進出や関東大震災の発生などを背景に、女性の洋装の需要が高まった時期であった。この頃から昭和初期にかけて、洋装を着用する若い女性は、モダンガールと呼ばれている。会場では、モダンな装いを捉えた夢二の作品に着目し、モダンガールをアール・デコ風に表現した《涼しき装い》や、洋装と和装の取り合わせを描いた《湖畔の秋》などを紹介する。

https://www.fashion-press.net/news/103627

●「生誕140年「竹久夢二のすべて」画家は詩人でデザイナー」(2023714日(金)~2023109日(月)、福田美術館)(「ことしるべ」(京都新聞)より)
本展は2024年に生誕140年、没後90年を迎える画家、竹久夢二の回顧展です。「夢二式美人」と呼ばれ、一世を風靡した美人画の数々に加え、小説の挿絵、楽譜の表紙デザイン、本の装丁や俳句・作詞にいたるまで、多彩な才能を発揮したクリエーターとしての夢二の魅力が詰まった作品の数々をご覧いただきます。関西では、コレクションがまとまって公開されるのは約30年ぶり。夢二ファンはもちろん、老若男女を問わずお楽しみいただける展覧会です。
http://event.kyoto-np.co.jp/event/takehisayumeji140nenn.html

●館蔵品企画展「竹久夢二展~夢二式美人を中心に」を朝日町ふるさと美術館で開催。(「富山新聞」)

朝日町ふるさと美術館の竣工(しゅんこう)式は6日行われ、約50人が隣接する不動堂遺跡を含めた文化歴史ゾーンの核施設として滞在・体験型観光の拠点となるよう期待を込めた。旧美術館から移転、展示スペースを1・5倍以上にしてリニューアルオープンする。7日から一般開放される。

3億8212万円を投じ、同町横水の交流体験施設「なないろKAN」を大規模改修した。有利な財源を活用し、町の負担は総額の4分の1となる。周辺には歴史公園や埋蔵文化財保存活用施設「まいぶんKAN」もあり、町は「歴史と文化の薫り漂うふるさとゾーン」に位置付けている。

7日からは開館記念の特別展「光と影のモビール 現象する歌」、館蔵品企画展「竹久夢二展~夢二式美人を中心に」(いずれも富山新聞社後援)が開かれる。

特別展は現代アート作家小松宏誠さん(42)による光や音、動きを生かして空間を彩るモビール、羽根の立体作品などで、6日の内覧会では小松さん自身が幻想的な展示を解説した。朝日町の海をイメージし、和紙やフィルムで光のきらめきを表現した作品が注目を集めた。特別展は9月10日まで、竹久夢二展は一部作品を入れ替え10月22日まで。

https://www.hokkoku.co.jp/articles/-/1118614

●特別展「竹久夢二-大正ロマンに魅せられて-」(静岡市美術館、協力 株式会社港屋)

2023年(令和5)年611日(土)~ 813日(日) 

一部展示替え [前期]611日~717 [後期]719日~813()

★★本展は撮影可能です(※フラッシュはご遠慮ください)★★

 竹久夢二は明治17年、岡山県邑久郡本庄村の代々酒造業を営む家に次男として生まれます。そして単身上京し、特定の師に就くこともなく独学でいわゆる「夢二式美人」をはじめとする画風を築き上げました。大正モダンの中で確立した作風は、現在でも色褪せることなく多くの人々に愛されています。夢二は複数の女性と関係をもっていたことから、恋多き男性としての側面がよく取り上げられています。しかし夢二は子供向けの童画も多く手掛けており、いつまでも童心を忘れない純粋な精神の持ち主でもありました。

 今回の展覧会では肉筆作品をはじめセノオ楽譜・書簡・著作本・絵葉書・雑誌の挿絵・ポスターまで、夢二が手掛けた幅広い画業に光を当てました。ぜひこの機会に真の夢二像に触れていただければ幸いです。

http://www.hirano-museum.jp/takehisayumeji-taisyouromannnimiserarete.html

●【開幕特集】竹久夢二展ー大正ロマンに魅せられてー 平野美術館(中日新聞 202367日)

特別展「竹久夢二展大正ロマンに魅せられて」(中日新聞東海本社共催)が十日、浜松市中区の平野美術館で開幕します。813日まで。

 「夢二式美人画」と呼ばれる画風を築き、大正ロマンを代表する画家へと上り詰めた夢二(本名・茂次郎(もじろう)、一八八四〜一九三四年)。岡山県の酒造業を営む家の次男として生まれ、特定の師に就かず独学で絵を学びました。

 本展では「竹久夢二専門画廊 港屋」(東京都中央区)などが所蔵する肉筆作品、表紙画を手がけた雑誌や楽譜、千代紙や封筒、関東大震災を報じた新聞記事、自ら撮影した写真を通じ、幅広い創作活動を紹介します。

愛あふれ、花開く マルチな芸術、デザインや詩も

 明治十七年、岡山に生まれた夢二は、詩人や画家を目指して十八歳の時に上京します。新聞や雑誌にコマ絵(挿絵)を投稿するうちに徐々に人気となり、当時の出版文化の隆盛とともに日本中にブームを巻き起こしました。

 婦人グラフの五月号表紙「藤の花」(作品(1))は当時の女性向け高級グラビア雑誌で、夢二人気にあやかり、飛ぶように売れたといわれています。

 生活と美術の融合を目指し、さまざまな生活雑貨のデザインも手掛けています。「千代紙・大椿」(作品(2))は夢二デザインの生活雑貨を売る「港屋絵草子店」で販売されました。

 美人画で有名ですが、キャリアの晩年にいたるまで、子供向けの書籍や雑誌に数多くの表紙絵や挿絵を描きました。「花のたよりの文つかひ」(作品(3))は「少女画報」という当時の女の子向けの雑誌に掲載されました。

 当初、詩人を志していた夢二は多くの詩作も残し、中でも有名なのが夢二が作詞を担当した楽曲「宵待草(よいまちぐさ)」です。この宵待草が発表・掲載されたのが楽譜集「セノオ楽譜」シリーズです。夢二は二百七十余点の表紙絵も手掛け、「ホームソング」(作品(4))は楽譜集に掲載した水彩原画です。

 昭和六年、四十八歳の時に夢二はかねての夢だった欧米への旅に出ます。しかし世界恐慌の中、思うように絵も売れず失望と苦難の連続でした。「舟泊り」(作品(5))は昭和八年にベルリンで描かれた貴重な作品です。体調を崩して帰国した夢二は翌九年、長野で波瀾(はらん)万丈の生涯を五十一歳で閉じます。

 近年では「グラフィックデザイナーの原点」「カワイイの原点」とも評される夢二。本展で夢二芸術の多様性に触れて頂けると幸いです。

(株式会社港屋 代表取締役 大平龍一)

◆会期 8月13日(日)まで。月曜休館。7月17日は開館、同18日は休館

https://www.chunichi.co.jp/article/704998

 

●「竹久夢二 - 大正ロマンに魅せられて - 」(公益財団法人平野美術館)

竹久夢二は明治17年、岡山県邑久郡本庄村の代々酒造業を営む家に次男として生まれます。そして単身上京し、特定の師に就くこともなく独学でいわゆる「夢二式美人」をはじめとする画風を築き上げました。大正モダンの中で確立した作風は、現在でも色褪せることなく多くの人々に愛されています。夢二は複数の女性と関係をもっていたことから、恋多き男性としての側面がよく取り上げられています。しかし夢二は子供向けの童画も多く手掛けており、いつまでも童心を忘れない純粋な精神の持ち主でもありました。

今回の展覧会では肉筆作品をはじめセノオ楽譜・書簡・著作本・絵葉書・雑誌の挿絵・ポスターまで、夢二が手掛けた幅広い画業に光を当てました。ぜひこの機会に真の夢二像に触れていただければ幸いです。

前期: 611日~717

後期: 719日~813
http://www.hirano-museum.jp/takehisayumeji-taisyouromannnimiserarete.html

●竹久夢二の回顧展が京都・福田美術館で - 夢二式美人をはじめ“大正ロマン”の作品約230点を紹介(「FASHION PRESS」より

企画展「生誕140年 竹久夢二のすべて 画家は詩人でデザイナー」が、京都の福田美術館にて、2023714()から109(月・祝)まで開催される。その後、群馬の高崎市美術館ほか、全国を巡回予定だ。

https://www.fashion-press.net/news/104088

●「新聞小説 夢二の「二筆流」 話と挿絵 企画展 湯涌の美術館」(中日新聞)

明治末期−昭和初期に活躍し女性画や挿絵のイメージが強い金沢ゆかりの詩人画家、竹久夢二(18841934年)の新聞小説四作品を挿絵とともに紹介する企画展が、金沢市湯涌町の金沢湯涌夢二館で開かれている。一作目の「岬」発表から百年の節目に開催。小説を理解すると、女性画などに込められた真意や夢二の生き様をより味わえるようになる。(室木泰彦)

 四作品は、明治中期から昭和の戦前まで東京で発刊した「都新聞」(東京新聞=中日新聞東京本社=の前身)で一九二三年八月〜二七年九月に掲載された。夢二初の三部作、「岬」全七十五回(関東大震災ルポルタージュ「東京災難画信」連載で途中一カ月ほど休載)▽「秘薬紫雪」全四十九回▽「風のやうに」全五十七回−と、体験を基にした自伝的小説「出帆」全百三十四回。

 三部作は恋愛小説。「岬」の告知で夢二は、貞操について女性三人(モデル、温泉地の娘、舞台女優)を書いたとし、「誰も彼も、岬の方へ急ぐ不幸な人達です」と紹介。最終話で一人目で予定枚数を超え三部作にすると記した。主人公女性の破滅的な男性遍歴などを通して男女関係の機微を描き、挿絵などで見られる人物の寂しい姿に重なる部分が多いという。「出帆」は、予告で「いまいましい実録」を「さっさと洗いざらひ書いちまって」と記した通り、生涯三人の女性と親密な関係を持った体験をほぼ再現している。

 国立国会図書館や同館所蔵の都新聞を複写した各第一話を展示。挿絵にあらすじを添え物語の流れが把握できる。「風のやうに」を載せた都新聞の切り抜きも貼ったスクラップブック(同館所蔵)を公開。都新聞の実物もあり、当時の雰囲気を感じることができる。

 担当学芸員の川瀬千尋さんは、挿絵を整理中に、同館所蔵の下絵を完成させたとみられる挿絵が「岬」四十九話で使われたことを発見。川沿いの柳が温泉街の風情を伝える絵で、並べてあるため下絵と挿絵の類似性が分かる。川瀬さんは「特に出帆では女性関係のスキャンダルへの自己弁護と解釈できる部分もある一方、体験が現実に近い形で再現され、小説を読むと絵などをより深く理解できるようになる」と話す。

 企画展は618日まで。火曜休館(祝日の場合は翌平日)。一般・大学生三百十円、六十五歳以上二百十円(祝日無料)、高校生以下無料など。(問)同館076(235)1112

https://www.chunichi.co.jp/article/684708

2023年夏の企画展「Taisyo Romantic Design-夢二のモダン×伝統デザイン-」 当館新収蔵作品《千代紙「きのこ」》を岡山で初公開

202366日(火)~(岡山)夢二郷土美術館本館にて開催 両備ホールディングス株式会社

夢二郷土美術館本館(所在地:岡山県岡山市中区浜2-1-32、館長:小嶋光信、運営:公益財団法人両備文化振興財団)では、202366日(火)より、「Taisyo Romantic Design-夢二のモダン×伝統デザイン-」と題した企画展を開催いたします。

本展では、夢二のスクラップブックから夢二デザインのイメージソースを辿るとともに、夢二式美人に応用された夢二デザインの形もご紹介します。また、夢二がアールヌーヴォーから影響を受けた作品の一つでこのたび当館新収蔵となった《千代紙「きのこ」》を初公開。令和の私たちが見ても胸高鳴る大正浪漫のデザインの数々をお楽しみください。

<夢二郷土美術館 https://yumeji-art-museum.com/

https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000174.000052428.html

●大正ロマンを代表する画家・竹久夢二の生誕140年・没後90年を記念した回顧展『竹久夢二のすべて ~画家は詩人でデザイナー』が、7月14日より「福田美術館」(京都市右京区)にて開催。(「L MAGA」より)

雑誌や新聞にコマ絵を寄稿するところからキャリアをスタートさせた夢二。やがて、センチメンタルな表情を浮かべ、退廃的な雰囲気に満ちた女性を描く独特のスタイルは、「夢二式美人画」として一世を風靡した。

また、画家としての活動に加え、雑誌の表紙や日用品のデザインなども手がけ、さらには詩集も発表するなど、マルチな分野で活躍。日本のグラフィックデザインやアートディレクションの草分けともいえる存在であった。

同展覧会では、そんな夢二の作品の魅力を、6章の展示にわたって紹介。前半では、彼の代表作ともいえる美人画の数々を展示。恋多き夢二が恋人に送った手紙や絵画で、彼のドラマチックな人生を辿る。

後半では、彼の作品を通じて夢二の文芸界・音楽界との深い繋がりや、夢二がデザインした日用雑貨を紹介。時代を経ても色あせない雑貨の数々が並ぶという。最終章「夢二のまなざし」では豊かな創作欲の源となったスケッチの数々が公開される。

期間は7月14日~10月9日。時間は朝10時~夕方5時。入館料は1500円ほか

https://news.yahoo.co.jp/articles/1603670fd157c3f82c81fc3ab7a232df6e8bf1d0

●越懸澤麻衣著『大正時代の音楽文化とセノオ楽譜』が発売中!

https://honno.info/kkan/card.html?isbn=9784867800096

●ひろたまさき著『異国の夢二』が発売中!
https://www.kinokuniya.co.jp/f/dsg-01-9784065323465

●夢二の雰囲気に包まれてオリジナル懐石を楽しめる!――神楽坂「夢二」

https://www.kagurazaka-yumeji.com/