※創刊号(2021.8.8)~第37号(2022.4.10)はこちらをご覧ください。⇒ https://yumejitotaiwan.exblog.jp
※ビジュアル夢二ブログ「夢二と台湾」⇒ https://jasmineproject.amebaownd.com/

 

■メッセージ■

先日旧安田庭園に行ったら、ちょうどカルガモ親子が池でのお散歩に出るところでした。

遠くの島からわざわざ私の足元近くまでやってきて子どもたちのかわいい姿をたくさん見せてくれましたが、ひととおり池を廻って島に戻ろうとしたとき、なんだか親鳥の様子がおかしくなりました。帰るところを忘れたようにきょろきょろして、右往左往しています。親鳥にべったりくっついている子どもたちはついて行くのが大変な様子です。

しばらくして親鳥はようやく決心したらしく、島の後方に回って上陸し始めましたが、なんとカラスが2羽、親子の前に立ちはだかったのです!上陸場所を迷っていたのはこのせいでした。
 カルガモ親子はすばやく池に戻りましたが、親鳥はカラスから少し距離をとったところで止まり、振返って子どもたちを守りながらしばらくカラスをにらみつけて威嚇していました。先日も上野の不忍池で、身を挺して横に降り立った鵜から子どもたちを護る親鳥を見ましたが、この命がけの親鳥の姿に、真の愛と勇気を見るような気がしました。

◎関連動画「ちょっとあぶないカルガモ親子のおさんぽ」(5分)

https://youtu.be/uO4Q1wYaUe8

▼散歩するカルガモ親子(旧安田庭園)
IMG_2071 (2)
▼烏と対峙するカルガモ親子(旧安田庭園)
IMG_2113 (2)
▼チャンスを狙う鵜に身を挺して子どもたちを護る親鳥(不忍池)
DSCN3151 (2)
DSCN3095 (2)
 

■竹久夢二の素顔■

●廣田知子「みなと屋の夢二」(10)(『竹久夢二』竹久夢二美術館(石川桂子学芸員)監修(河出書房新社)の「夢二を知る女性たち」より)

(注)本文は、文筆家の廣田知子が『猫町文庫』第四集 2013年(平成25)猫町文庫」に掲載したものです。

「あらっ。パパさんは?」

とみなと屋から帰って来たたまきは夢二が家に居ないのを見届けると急に機嫌が悪くなった。人力車に乗って外出した夢二はその絵を代金代わりにして茶屋遊びに興じているのだという。その日から三日間、夢二は自宅に戻ってこなかった。彼の作品群に見える「こたつ」や「一力」の世界は、きっとこういうときの観察を基に描かれたものであったろう。しかし遊ぶ割には夢二自身は音痴で都都逸(どどいつ)さえろくに歌えなかった。よく画の中で、

 水に入れられ 咲いたが口惜し

 根のないそなたにだまされた

とか、

  いやだいやだよ畑の芋は かぶり振り振り(いつの間にやら)子が出来た

等の粋な都都逸を口ずさんでいるのが聞こえてきたが、調子外れで声も悪く、ソノが後から何度も音程のずれを直してやったものである。

「ソノちゃん、うまいね。もう一ぺん聞かせてくれよ。茶屋遊びも知らないくせに一体どこで覚えてきたんだい」

「寄席で覚えました」

 ソノは寄席が好きで、そこからよく新しい都都逸を仕入れてきたものである。たしかにソノは天性の美声の持ち主で、その頃夢二を慕って集まって来る絵描きの仲間達から金を集めてソノを音楽学校へ入れようじゃないかという話題が出たほどであった。(つづく)

※茶屋遊び:料亭・遊郭などで、芸者・遊女を相手に、酒を飲んで遊ぶこと。(「デジタル大辞泉」)

「夏姿」大正4年頃 (2)
 

■夢二の台湾旅行関係資料(5)

 日本橋誠品書店で見つけた『蓬莱島余談 台湾・客船紀行集』(内田百閒、中公文書)は、夢二の訪台を推測する上で非常に重要な資料となりました。

これは内田百閒が日本郵船の嘱託となり、1939年(昭和1411月中旬に訪台した時の様子について様々な雑誌等に書いた小文を集めたもの。驚いたことに百閒は、夢二と同じ大和丸で神戸から基隆に渡り、その後は、夢二と鐡道ホテルで再会した藤島武二と同様、夜行で台南に向かっています。

・大和丸(『大洋』19401月号)(2)

 正午出帆の定刻を過ぎたけれど、船は動き出す様子もないが、そう云う事には私も既に馴れている。別に急ぐ事もないから、気のすむ迄ゆっくりしていたらよかろうと思ったが、ただいろんな荷物を積み込む起重機の音がうるさくて困った。それで自然にその方を眺める様な事になる。まだ船を下りない貞さんと二人並んでぼんやり見物していると、俵を三俵引っかけた上に人が二人乗って水面からするすると上がって来た。あれが来るともうお仕舞なのだ、さあ降りようと云って貞さんは舷側の釣鐘から岸壁へ渡って行った。荷役がすんだから人が上がって来たのであろう。何となく船が出そうな気配である。鎌倉丸には管弦楽の楽隊がいたが、大和丸には乗っていないらしい。その代りにやっているのか拡声器を掛けたレコードが鳴っているが、無茶苦茶に大きな音をさせるので、岸壁からやっているのか甲板からやっているのか反響し合って判らない。出そうに見えても大和丸の一万噸(トン)の大船だから中中動くものではなかろうと高をくくっていたら、レコードの音が一先ず出船を祝い終わった後で、又起重機の響がし出して、何だかあわてて岸壁に運んで来た漬物樽の様な物を幾つも釣り上げている。矢っ張り思った通りで、大きな船が何時に動き出すと云う事をこちらで考える位あてのない話はないと更めて悟った。(つづく)次回基隆港に到着します。

 ※ 百閒(うちだ ひゃっけん(1889年〈明治22年〉529 - 1971年〈昭和46年〉420日)岡山市生まれ。日本の小説家、随筆家。本名榮造󠄁。東京帝国大学独文科を卒業。漱石山房では芥川龍之介や久米正雄を識る。1916年(大正5年)に陸軍士官学校ドイツ語学教授に任官する。1917年(大正6年)、岩波書店版『夏目漱石全集』の校閲に従事。別号は百鬼園(ひゃっきえん)。夏目漱石の門下生の一人で、夢の光景のように不可解な恐怖を幻想的に描いた小説や、独自の論理で諧謔に富んだ随筆を多数執筆し、名文家として知られる。号の「百閒」は、故郷岡山にある旭川の緊急放水路の百間川から取ったもので、当初は「百間」と表記していたが、後に「百閒」に改めた。代表作に『冥途』『旅順入城式』『百鬼園随筆』『阿房列車』など。(wikipediaより)

※台湾・台北市内の長榮海事博物館(Evergreen Maritime Museum)の展示の一つに「日本時期商船」というコーナーがあって、 「台湾航線船舶紹介 (Introduction of Taiwanese Shipping Routes)」および「台湾航路紹介 (Introduction to Taiwan Sea Routes)」と題するパネルが展示されている。そこには、戦前に日本-台湾航路に就航した主要船舶として、 「高千穂丸 (大阪商船)」、「瑞穂丸 (左上)」、「香取丸 (日本郵船)」、「大和丸」の船舶絵葉書と共に、4隻のプロフィールが紹介されている。
・台湾航路の主要船舶(大和丸の部分)

「大和丸はかつてはイタリア船で、9,655トン、乗客定員1,068名であった。大和丸と名付けられ日本の郵便船となり、 基隆と神戸の間に就航した。1941913日に、米国の潜水艦により中国沿岸の舟山島(Zhoushan Island; 中国の 上海南方、寧波東方、杭州湾の東南方に位置する島)の東方海域で爆撃を受け沈没した。絵葉書提供:国家図書館。 絵葉書には「近海郵船株式会社 神戸基隆線 大和丸 総噸数壹萬噸」と記される。」

▼大和丸
【船(大和丸)】1 (2)
▼『臺灣航路案内』近海郵船
「台湾航路案内」1
 

■夢二の世界■

PART 4 「夢二のデザイン」(「竹久夢二 《デザイン》モダンガールの宝箱」(竹久夢二美術館 石川桂子著、講談社)より
14
 夢二と猫(1)

夢二作品の代表作として名高い《黒船屋》(竹久夢二伊香保記念館所蔵)は、妖艶な女性の姿と共に、画面中央の黒猫が印象的で、夢二が描いた動物というと、黒猫をイメージする人も多いだろう。確かに、夢二はこのほかにも女性と黒猫を描いており、それは『小説倶楽部』の表紙絵や著書『絵入小唄集 三味線草』の帙(ちつ)にも認められる。

ところで、猫の持つイメージであるが、古代エジプトでは崇拝の対象とされ、その瞳孔の変化は月の満ち欠けになぞらえられ、神秘的で謎めいたものとして神格化された。一方、キリスト教世界では魔力の象徴とされ、さらに官能・優美・狡猾といった魔性に関連付けられた女性を表している。一般的にも猫は、神秘的・しなやか・愛らしい・気まぐれ……という印象に加えて、人間に身近に接しながら、とらえどころのない感じが強い。さらに、黒猫の経路に着目してみれば、黒という色は、深層心理学者E・エップリによると「黒は完全な無意識を象徴し、闇、悲しみ、暗黒をあらわす色である。ヨーロッパでは黒はネガティブな色とされる……黒い男、真っ黒な家、黒いヘビなど、黒いものはわずかの希望しか抱かせない」とみなされている。

夢二は女性と黒猫を併せて描くことによって、艶めかしく頽廃的な画面を作り上げた。黒猫のイメージから女性の魔性や神秘的な雰囲気を強調し、追い求めても手に入らない永遠の女性像を表現しているようである。黒猫以外の猫と女性を題材に、夢二が筆をとった作画も存在するが、その場合は、なごやかで微笑ましい雰囲気に包まれている。猫も愛らしく、黒猫の場合とは対照的である。(つづく)

▼「竹久夢二 《デザイン》モダンガールの宝箱」(竹久夢二美術館 石川桂子著)より
「猫」 (2)

 

■夢二情報■

●企画展「夢二が見つめた1920年代」竹久夢二美術館で、関東大震災からモダンガールまで夢二作品を紹介(FASHION PRESSより)

企画展「夢二が見つめた1920年代 ─震災からモダンガールの表現まで─」が、東京の竹久夢二美術館にて、202371()から924()まで開催される。

大正時代から昭和時代へと変わる1920年代は、日本の近代化に伴う様相が広く人びとに浸透していった時代であった。この時期、竹久夢二は、夢二式美人と呼ばれるセンチメンタルな女性像で人気を集める一方、急速に変化する社会を反映した作品も手がけている。

企画展「夢二が見つめた1920年代 ─震災からモダンガールの表現まで─」は、20年代における夢二の創作を紹介する展覧会。関東大震災にまつわるスケッチとエッセイ、当時流行したモダンガールを描いた作品などを展示する。

1923年に発生した関東大震災は、江戸時代の面影を残す東京に甚大な被害をもたらす一方、大規模な復興事業により新たな建築などの整備が進められ、東京は近代的な都市へと変貌してゆくこととなった。本展では、夢二が被災地・東京を描いた「東京災難画信」などを展示し、震災により変わり果てた風景や生活の様子、復興へ向けての動きに光をあてる。

大正時代は、女性の社会進出や関東大震災の発生などを背景に、女性の洋装の需要が高まった時期であった。この頃から昭和初期にかけて、洋装を着用する若い女性は、モダンガールと呼ばれている。会場では、モダンな装いを捉えた夢二の作品に着目し、モダンガールをアール・デコ風に表現した《涼しき装い》や、洋装と和装の取り合わせを描いた《湖畔の秋》などを紹介する。

https://www.fashion-press.net/news/103627

●「生誕140年「竹久夢二のすべて」画家は詩人でデザイナー」(2023714日(金)~2023109日(月)、福田美術館)(「ことしるべ」(京都新聞)より)
本展は2024年に生誕140年、没後90年を迎える画家、竹久夢二の回顧展です。「夢二式美人」と呼ばれ、一世を風靡した美人画の数々に加え、小説の挿絵、楽譜の表紙デザイン、本の装丁や俳句・作詞にいたるまで、多彩な才能を発揮したクリエーターとしての夢二の魅力が詰まった作品の数々をご覧いただきます。関西では、コレクションがまとまって公開されるのは約30年ぶり。夢二ファンはもちろん、老若男女を問わずお楽しみいただける展覧会です。
http://event.kyoto-np.co.jp/event/takehisayumeji140nenn.html

●館蔵品企画展「竹久夢二展~夢二式美人を中心に」を朝日町ふるさと美術館で開催。(「富山新聞」)

朝日町ふるさと美術館の竣工(しゅんこう)式は6日行われ、約50人が隣接する不動堂遺跡を含めた文化歴史ゾーンの核施設として滞在・体験型観光の拠点となるよう期待を込めた。旧美術館から移転、展示スペースを1・5倍以上にしてリニューアルオープンする。7日から一般開放される。

3億8212万円を投じ、同町横水の交流体験施設「なないろKAN」を大規模改修した。有利な財源を活用し、町の負担は総額の4分の1となる。周辺には歴史公園や埋蔵文化財保存活用施設「まいぶんKAN」もあり、町は「歴史と文化の薫り漂うふるさとゾーン」に位置付けている。

7日からは開館記念の特別展「光と影のモビール 現象する歌」、館蔵品企画展「竹久夢二展~夢二式美人を中心に」(いずれも富山新聞社後援)が開かれる。

特別展は現代アート作家小松宏誠さん(42)による光や音、動きを生かして空間を彩るモビール、羽根の立体作品などで、6日の内覧会では小松さん自身が幻想的な展示を解説した。朝日町の海をイメージし、和紙やフィルムで光のきらめきを表現した作品が注目を集めた。特別展は9月10日まで、竹久夢二展は一部作品を入れ替え10月22日まで。

https://www.hokkoku.co.jp/articles/-/1118614

●特別展「竹久夢二-大正ロマンに魅せられて-」(静岡市美術館、協力 株式会社港屋)

2023年(令和5)年611日(土)~ 813日(日) 

一部展示替え [前期]611日~717 [後期]719日~813()

★★本展は撮影可能です(※フラッシュはご遠慮ください)★★

 竹久夢二は明治17年、岡山県邑久郡本庄村の代々酒造業を営む家に次男として生まれます。そして単身上京し、特定の師に就くこともなく独学でいわゆる「夢二式美人」をはじめとする画風を築き上げました。大正モダンの中で確立した作風は、現在でも色褪せることなく多くの人々に愛されています。夢二は複数の女性と関係をもっていたことから、恋多き男性としての側面がよく取り上げられています。しかし夢二は子供向けの童画も多く手掛けており、いつまでも童心を忘れない純粋な精神の持ち主でもありました。

 今回の展覧会では肉筆作品をはじめセノオ楽譜・書簡・著作本・絵葉書・雑誌の挿絵・ポスターまで、夢二が手掛けた幅広い画業に光を当てました。ぜひこの機会に真の夢二像に触れていただければ幸いです。

http://www.hirano-museum.jp/takehisayumeji-taisyouromannnimiserarete.html

●【開幕特集】竹久夢二展ー大正ロマンに魅せられてー 平野美術館(中日新聞 202367日)

特別展「竹久夢二展大正ロマンに魅せられて」(中日新聞東海本社共催)が十日、浜松市中区の平野美術館で開幕します。813日まで。

 「夢二式美人画」と呼ばれる画風を築き、大正ロマンを代表する画家へと上り詰めた夢二(本名・茂次郎(もじろう)、一八八四〜一九三四年)。岡山県の酒造業を営む家の次男として生まれ、特定の師に就かず独学で絵を学びました。

 本展では「竹久夢二専門画廊 港屋」(東京都中央区)などが所蔵する肉筆作品、表紙画を手がけた雑誌や楽譜、千代紙や封筒、関東大震災を報じた新聞記事、自ら撮影した写真を通じ、幅広い創作活動を紹介します。

愛あふれ、花開く マルチな芸術、デザインや詩も

 明治十七年、岡山に生まれた夢二は、詩人や画家を目指して十八歳の時に上京します。新聞や雑誌にコマ絵(挿絵)を投稿するうちに徐々に人気となり、当時の出版文化の隆盛とともに日本中にブームを巻き起こしました。

 婦人グラフの五月号表紙「藤の花」(作品(1))は当時の女性向け高級グラビア雑誌で、夢二人気にあやかり、飛ぶように売れたといわれています。

 生活と美術の融合を目指し、さまざまな生活雑貨のデザインも手掛けています。「千代紙・大椿」(作品(2))は夢二デザインの生活雑貨を売る「港屋絵草子店」で販売されました。

 美人画で有名ですが、キャリアの晩年にいたるまで、子供向けの書籍や雑誌に数多くの表紙絵や挿絵を描きました。「花のたよりの文つかひ」(作品(3))は「少女画報」という当時の女の子向けの雑誌に掲載されました。

 当初、詩人を志していた夢二は多くの詩作も残し、中でも有名なのが夢二が作詞を担当した楽曲「宵待草(よいまちぐさ)」です。この宵待草が発表・掲載されたのが楽譜集「セノオ楽譜」シリーズです。夢二は二百七十余点の表紙絵も手掛け、「ホームソング」(作品(4))は楽譜集に掲載した水彩原画です。

 昭和六年、四十八歳の時に夢二はかねての夢だった欧米への旅に出ます。しかし世界恐慌の中、思うように絵も売れず失望と苦難の連続でした。「舟泊り」(作品(5))は昭和八年にベルリンで描かれた貴重な作品です。体調を崩して帰国した夢二は翌九年、長野で波瀾(はらん)万丈の生涯を五十一歳で閉じます。

 近年では「グラフィックデザイナーの原点」「カワイイの原点」とも評される夢二。本展で夢二芸術の多様性に触れて頂けると幸いです。

(株式会社港屋 代表取締役 大平龍一)

◆会期 8月13日(日)まで。月曜休館。7月17日は開館、同18日は休館

https://www.chunichi.co.jp/article/704998

 

●「竹久夢二 - 大正ロマンに魅せられて - 」(公益財団法人平野美術館)

竹久夢二は明治17年、岡山県邑久郡本庄村の代々酒造業を営む家に次男として生まれます。そして単身上京し、特定の師に就くこともなく独学でいわゆる「夢二式美人」をはじめとする画風を築き上げました。大正モダンの中で確立した作風は、現在でも色褪せることなく多くの人々に愛されています。夢二は複数の女性と関係をもっていたことから、恋多き男性としての側面がよく取り上げられています。しかし夢二は子供向けの童画も多く手掛けており、いつまでも童心を忘れない純粋な精神の持ち主でもありました。

今回の展覧会では肉筆作品をはじめセノオ楽譜・書簡・著作本・絵葉書・雑誌の挿絵・ポスターまで、夢二が手掛けた幅広い画業に光を当てました。ぜひこの機会に真の夢二像に触れていただければ幸いです。

前期: 611日~717

後期: 719日~813
http://www.hirano-museum.jp/takehisayumeji-taisyouromannnimiserarete.html

●竹久夢二の回顧展が京都・福田美術館で - 夢二式美人をはじめ“大正ロマン”の作品約230点を紹介(「FASHION PRESS」より

企画展「生誕140年 竹久夢二のすべて 画家は詩人でデザイナー」が、京都の福田美術館にて、2023714()から109(月・祝)まで開催される。その後、群馬の高崎市美術館ほか、全国を巡回予定だ。

https://www.fashion-press.net/news/104088

●「新聞小説 夢二の「二筆流」 話と挿絵 企画展 湯涌の美術館」(中日新聞)

明治末期−昭和初期に活躍し女性画や挿絵のイメージが強い金沢ゆかりの詩人画家、竹久夢二(18841934年)の新聞小説四作品を挿絵とともに紹介する企画展が、金沢市湯涌町の金沢湯涌夢二館で開かれている。一作目の「岬」発表から百年の節目に開催。小説を理解すると、女性画などに込められた真意や夢二の生き様をより味わえるようになる。(室木泰彦)

 四作品は、明治中期から昭和の戦前まで東京で発刊した「都新聞」(東京新聞=中日新聞東京本社=の前身)で一九二三年八月〜二七年九月に掲載された。夢二初の三部作、「岬」全七十五回(関東大震災ルポルタージュ「東京災難画信」連載で途中一カ月ほど休載)▽「秘薬紫雪」全四十九回▽「風のやうに」全五十七回−と、体験を基にした自伝的小説「出帆」全百三十四回。

 三部作は恋愛小説。「岬」の告知で夢二は、貞操について女性三人(モデル、温泉地の娘、舞台女優)を書いたとし、「誰も彼も、岬の方へ急ぐ不幸な人達です」と紹介。最終話で一人目で予定枚数を超え三部作にすると記した。主人公女性の破滅的な男性遍歴などを通して男女関係の機微を描き、挿絵などで見られる人物の寂しい姿に重なる部分が多いという。「出帆」は、予告で「いまいましい実録」を「さっさと洗いざらひ書いちまって」と記した通り、生涯三人の女性と親密な関係を持った体験をほぼ再現している。

 国立国会図書館や同館所蔵の都新聞を複写した各第一話を展示。挿絵にあらすじを添え物語の流れが把握できる。「風のやうに」を載せた都新聞の切り抜きも貼ったスクラップブック(同館所蔵)を公開。都新聞の実物もあり、当時の雰囲気を感じることができる。

 担当学芸員の川瀬千尋さんは、挿絵を整理中に、同館所蔵の下絵を完成させたとみられる挿絵が「岬」四十九話で使われたことを発見。川沿いの柳が温泉街の風情を伝える絵で、並べてあるため下絵と挿絵の類似性が分かる。川瀬さんは「特に出帆では女性関係のスキャンダルへの自己弁護と解釈できる部分もある一方、体験が現実に近い形で再現され、小説を読むと絵などをより深く理解できるようになる」と話す。

 企画展は618日まで。火曜休館(祝日の場合は翌平日)

https://www.chunichi.co.jp/article/684708

2023年夏の企画展「Taisyo Romantic Design-夢二のモダン×伝統デザイン-」 当館新収蔵作品《千代紙「きのこ」》を岡山で初公開

202366日(火)~(岡山)夢二郷土美術館本館にて開催 両備ホールディングス株式会社

夢二郷土美術館本館(所在地:岡山県岡山市中区浜2-1-32、館長:小嶋光信、運営:公益財団法人両備文化振興財団)では、202366日(火)より、「Taisyo Romantic Design-夢二のモダン×伝統デザイン-」と題した企画展を開催いたします。

本展では、夢二のスクラップブックから夢二デザインのイメージソースを辿るとともに、夢二式美人に応用された夢二デザインの形もご紹介します。また、夢二がアールヌーヴォーから影響を受けた作品の一つでこのたび当館新収蔵となった《千代紙「きのこ」》を初公開。令和の私たちが見ても胸高鳴る大正浪漫のデザインの数々をお楽しみください。

<夢二郷土美術館 https://yumeji-art-museum.com/

https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000174.000052428.html

●越懸澤麻衣著『大正時代の音楽文化とセノオ楽譜』が発売中!

https://honno.info/kkan/card.html?isbn=9784867800096

●ひろたまさき著『異国の夢二』が発売中!
https://www.kinokuniya.co.jp/f/dsg-01-9784065323465

●夢二の雰囲気に包まれてオリジナル懐石を楽しめる!――神楽坂「夢二」

https://www.kagurazaka-yumeji.com/