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■メッセージ■
先日観た「君たちはどう生きるか」はいまだに頭の中で消化されずにくすぶっています。宮崎駿監督の自伝と思想を組み合わせたという解説が有力ですが、なにしろ全く宣伝なしの状態ということもあり、評価は大きく二つに割れ、高評価と低評価が30%台という異例の状態になっていましたが、その後どうなりましたか。
難解な映画として思い出されるものに「2001年宇宙の旅(2001: A Space Odyssey)」があります。1968年、日本唯一のシネラマ映画館「テアトル東京」の前にモノリス(黒い石板)が立ち、難解な映画として大評判になった鬼才監督スタンリー・キューブリックの作った傑作SF映画です。
この映画は、“HAL”というAIに制御された木星に向かう宇宙船内の話(宇宙船そのものがAI)で、乗組員が“HAL”が故障したのではないかと怪しんだところ、これを察知した“AIが身を護るために乗組員を次々と殺していく”という怖ろしい話ですが、一人生き残ったボーマン船長が小型のポッドで宇宙船を脱出した後のサイケデリックな映像の連続シーンが難解でした。“宇宙の高速道路を走って急速に年をとった”などの考えなどが出てきて、私は3回観に行きましたが、中学生だったこともあり結局わからずじまいでした。(今もよく分かりませんが。)
ところで、日本でも、終戦直後の1949年に、文明の絶頂期にある人類が発達し過ぎた科学の力に逆襲される様子を描いた「メトロポリス」を手塚治虫が発表しています。こちらはそれほど難解ではありませんでしたが、人造人間が登場し、AIがテーマとなっています。医者だった手塚は、「鉄腕アトム」に象徴されるように、ロボットが人間にどのくらい近づけるか、をテーマとしていました。終戦の4年後ですから、当時としてはとんでもなく進んだ目を持っていたんですね。
そして、スタンリー・キューブリックが「2001年宇宙の旅」の制作を決めた時に、手塚治虫に美術監督を依頼したという話があります。ハリウッドからの招待ですから当時としてはものすごいことですが、手塚は製作期間が2年間と聞いて「2年も漫画が書けないのは嫌」と断ったとか。徹底して自分の作品を作りたかったんですね。さすがマンガを描いていて自分の結婚式に遅刻したというのも頷けます。また、1989年の手塚の死(60歳)後、「メトロポリス」が映画化(りんたろう監督)されたのが2001年というの不思議な縁もありました。
今や世界中でAIが大流行。AIで何ができるか、何が出来ないか、何が障害になるかと議論が沸騰していますが、極度に人間に近くなり権限を持たせると、映画や漫画に描かれたようなことが現実に起こる危険性もあります。その対処法をAIに考えさせるという冗談めいた愚行だけはしないでほしいと思いますね。
▼「メトロポリス」(映画(2001年))
■竹久夢二の素顔■
●廣田知子「みなと屋の夢二」(11)(『竹久夢二』竹久夢二美術館(石川桂子学芸員)監修(河出書房新社)の「夢二を知る女性たち」より)
(注)本文は、文筆家の廣田知子が『猫町文庫』第四集 2013年(平成25)猫町文庫」に掲載したものです。
・青年達
夢二の家に集ってくる若い青年達は矢っ張り美術学校の生徒が多かった。夢二自身は画壇の傍流と自らを卑下して、旅行に出た折の宿帳にも画家と記さず画を描く人と記載していたようだが、若い画学生は先生先生と心からの経緯を示していたし、その年の正月にはたくさんの仲間が集まり、カーテンを舞台の幕に見立てて、人気芝居のカチューシャやサロメの一幕物を演じたり、主演女優の松井須磨子の声色を真似たりと大騒ぎであった。ソノもこの正月ははり込んで銀座の白牡丹で高価な日本髪を結ったのだが、結って帰った晩に裏木戸で頭をぶっつけ、まげがぐらついたのを夢二がひどく同情してくれた思い出が残っている。又ソノはみんなにすすめられるまま流行 歌のカチューシャを歌った。
カチューシャ可愛や 別れのつらさ
せめて淡雪解けぬ間に 同じ心で ララ、会いましょか
そしてアンコールには得意の都々逸を披露して拍手喝采を浴びたが、傍に座って一緒に笑いさざめいていたたまきが突然ソノに耳打ちして、
「こんなに楽しいお正月を家で過ごしたのは世帯を持ってから初めてなのよ」
とささやいて、夫婦の愛情や家庭の重みをまだ知らないソノを唖然とさせた。たまきが夢二の姉さん女房であることはソノもばあやから聞いて知っていはいたが、これ迄は正月というのに夢二は一人でふらりと旅行に出たり、友人の家へ勝手に泊まりに行ってしまうと言うたまきの話には同情せずには居られなかった。今年はみなと屋の予想以上の評判と繁昌が夢二に充実感を与え、創作意欲を燃え立たせているために夢二は腰を据えて自宅に安住しているようだった。夢二は元来が雑誌に投稿したコマ絵や絵葉書から出発した画家であり、これ迄にも月刊誌の表紙絵や口絵、ポスター等に特異な才能を発揮してきたが、みなと屋という舞台を得て彼の商業デザイナーとしての才が一気に開花したのであろう。この時期の夢二の仕事ぶりを眺めると、目に付く身辺の日用品に片端から下絵を描き、溢れ出るアイディアが魔法の杖を打ち振るように忽ちにして商品に転化されるといった才能の爆発を感じさせる。(つづく)
▼カチューシャ(セノオ楽譜)
▼松井須磨子
■夢二の台湾旅行関係資料(6)
・大和丸(『大洋』1940年1月号)(3)
四日目に基隆に著(ママ)き、その日は台北の宿屋に旅装を解いただけですぐに近郊の山の上の温泉へ行った。翌日台北の宿屋へ帰ってお膳の前に坐ると、女中が旦那様それは東京のべったら漬けですと云って、お皿の中を指さすようにしながら教えてくれた。珍しいのかと尋ねたら、昨日の船で来たばかりですと云った。神戸を出る時あわてて積み込んだのは浅漬の樽であったのかと初めて気がついた。
浅漬を積み終わって暫らくすると、船が岸壁を離れかけた。曳船が後から頻りに引っ張っているらしいが、もう私には珍しくない。貞さんは顔がぼやけて解らなくなる迄見送ってくれたが、船の見送りは見送る方も、また甲板で答礼する方も中中大変であって、余っ程気が長くなければ勤まらない。船室に帰ってほっとした。貞さんの持って来てくれた菊の花が段段ひどくなって来る汽鑵の震動を伝えて微かに動いている。
昼餐を終わった後、甲板を歩き廻ったり、部屋を出たり這入ったりしている内に時がたったと見えて、じきに海上の夕方になった。瀬戸内海は全く畳の上の様であって、船に乗っていると云う気持ちはしない。段段両岸の燈火が目につく様になって来たが、私の郷里の備前の沖にかかるのはまだ中中である。備前の児島半島から眺める四国の象頭山や屋島の山の姿は子供の時の記憶にありありと残っているけれど、船で通るとどんな形に見えるだろうと思ったりしたが、月のない夜の海なので、どの辺りに目を泳がせると云うあてもない。晩餐の後甲板に出て見ると、きらきらする燈火のかたまった岸が遠くに見えたり、草餅の様な形をした小さな島が水明りの中に浮かんで、その頂に光っている燈台の燈が手すりから乗り出している鼻の先をこすって行く様に思われたりした。どうかすると漁火が行く手の暗い波間に貝がらを撒いた様に散らかっている中を大きな舳先が分けていく事もあった。漁船の中からカーバイトの燈りを甲板の方に向けて何か合図をするらしく思われたが、向こうはどう云うつもりであるのか私には解らなかった。(中略)
門司の郵便局で手を真っ黒にして本船に帰って来た。((編者)筆者は門司で為替を組む必要が生じ、沖に停泊している大和丸からランチに乗っているが、なぜ手が黒くなったのかは明瞭な記載がない。)門司を抜錨した後は外海である。浪の形が見た目にも大きくなってくるのが解った。まだ陸が見えていると人が話し合っている時に、私はいくら目を据えてその方を眺めても、もう何の影もうつらなかった。(つづく)
■夢二の世界■
PART 4 「夢二のデザイン」(「竹久夢二 《デザイン》モダンガールの宝箱」(竹久夢二美術館 石川桂子著、講談社)より
14 夢二と猫(2)
また夢二はエッセイにおいて「猫のやうな女」と題した、次の文章を残している。
おそらくヴアン・ドンゲンの画く女ほどすぐ猫を連想させる女はあるまい。ドンゲンを黒猫とすれば、ロオランサンは白猫だ。絵の趣きを見るにドンゲンの黒猫はしつこさが足りない。ロオランサンの白猫にはかわいさが足りない。これはやがてドンゲンとロオランサンの相違で彼と彼女との性情の相違と考へられる。(「猫のやうな女」より『婦人画報』第281号 昭和4年)
《黒船屋》は、ドンゲンの作品よりヒントを得ていると指摘されているが、この文章に挙げられたドンゲンとローランサンは、20世紀初頭のフランスで活躍した画家で、夢二がふたりの描く猫を比較考察していたという事実は興味深い。また別の機会には、パリのキャバレー「シャ・ノワール(黒猫)」のポスターで知られる画家・スタンランにも注目している。
夢二は単独で徘徊する黒猫もたびたび描いている。夢二の自画像と思われる男性のそばに猫が描かれることもあるが、これらの黒猫は、女性と共に描写される場合とは趣を異にし、どこか近寄りがたく、孤高な感じすら漂わせている。猫について、G.Å.ベックラーは『紋章学』の中で「自由の象徴である。なぜなら猫は捕らえられたり、閉じ込められたりするのを嫌うからである。獲物を狩るとき、猫は実に根気強く、また策略にも富んでいる。これは優れた兵士のもつ徳に他ならない。このためシュヴァ―ペン人、スイス人、ブルグント人はかつて自由のしるしとして紋章に猫をあしらっていた」と述べている。
自由、奔放、これも猫特有の性質であるが、それは束縛を嫌い、自由を好んだ夢二にも相通じる。夢二は黒猫の姿に、孤独を抱えた自身のイメージを重ねていたのかもしれない。(この章は完。つづく)
▼「竹久夢二 《デザイン》モダンガールの宝箱」(竹久夢二美術館 石川桂子著)より
▼ヴキース・ヴァン・ドンゲン(1877―1968)が描いた「黒猫を抱く女」
■夢二情報■
●竹久夢二のすべて 画家は詩人でデザイナー」(京都 福田美術館、2023年7月14日(金)~ 10月9日(月・祝))
本展は2024年に生誕140年、没後90年を迎える画家、竹久夢二の回顧展となります。
「夢二式美人」と呼ばれ、一世を風靡した美人画の数々に加え、雑誌の挿絵、楽譜の表紙デザイン、本の装丁や俳句・作詞にいたるまで、多彩な才能を発揮したクリエーターとしての夢二の魅力が詰まった作品の数々をご覧いただきます。
200点以上の作品がまとまって公開されるのは関西では約30年ぶり。夢二ファンはもちろん、老若男女を問わずお楽しみいただける展覧会です。
https://fukuda-art-museum.jp/exhibition/202304302843
●企画展「夢二が見つめた1920年代」(竹久夢二美術館、2023年7月1日(土)から9月24日(日))
関東大震災からモダンガールまで夢二作品を紹介(FASHION PRESSより)
大正時代から昭和時代へと変わる1920年代は、日本の近代化に伴う様相が広く人びとに浸透していった時代であった。この時期、竹久夢二は、夢二式美人と呼ばれるセンチメンタルな女性像で人気を集める一方、急速に変化する社会を反映した作品も手がけている。
企画展「夢二が見つめた1920年代 ─震災からモダンガールの表現まで─」は、20年代における夢二の創作を紹介する展覧会。関東大震災にまつわるスケッチとエッセイ、当時流行したモダンガールを描いた作品などを展示する。
1923年に発生した関東大震災は、江戸時代の面影を残す東京に甚大な被害をもたらす一方、大規模な復興事業により新たな建築などの整備が進められ、東京は近代的な都市へと変貌してゆくこととなった。本展では、夢二が被災地・東京を描いた「東京災難画信」などを展示し、震災により変わり果てた風景や生活の様子、復興へ向けての動きに光をあてる。
大正時代は、女性の社会進出や関東大震災の発生などを背景に、女性の洋装の需要が高まった時期であった。この頃から昭和初期にかけて、洋装を着用する若い女性は、モダンガールと呼ばれている。会場では、モダンな装いを捉えた夢二の作品に着目し、モダンガールをアール・デコ風に表現した《涼しき装い》や、洋装と和装の取り合わせを描いた《湖畔の秋》などを紹介する。
https://www.fashion-press.net/news/103627
●館蔵品企画展「竹久夢二展~夢二式美人を中心に」を朝日町ふるさと美術館で開催。(「富山新聞」)
朝日町ふるさと美術館の竣工(しゅんこう)式は6日行われ、約50人が隣接する不動堂遺跡を含めた文化歴史ゾーンの核施設として滞在・体験型観光の拠点となるよう期待を込めた。旧美術館から移転、展示スペースを1・5倍以上にしてリニューアルオープンする。7日から一般開放される。
3億8212万円を投じ、同町横水の交流体験施設「なないろKAN」を大規模改修した。有利な財源を活用し、町の負担は総額の4分の1となる。周辺には歴史公園や埋蔵文化財保存活用施設「まいぶんKAN」もあり、町は「歴史と文化の薫り漂うふるさとゾーン」に位置付けている。
7日からは開館記念の特別展「光と影のモビール 現象する歌」、館蔵品企画展「竹久夢二展~夢二式美人を中心に」(いずれも富山新聞社後援)が開かれる。
特別展は現代アート作家小松宏誠さん(42)による光や音、動きを生かして空間を彩るモビール、羽根の立体作品などで、6日の内覧会では小松さん自身が幻想的な展示を解説した。朝日町の海をイメージし、和紙やフィルムで光のきらめきを表現した作品が注目を集めた。特別展は9月10日まで、竹久夢二展は一部作品を入れ替え10月22日まで。
https://www.hokkoku.co.jp/articles/-/1118614
●特別展「竹久夢二-大正ロマンに魅せられて-」(静岡市美術館、協力
株式会社港屋)
2023年(令和5)年6月11日(土)~ 8月13日(日)
竹久夢二は明治17年、岡山県邑久郡本庄村の代々酒造業を営む家に次男として生まれます。そして単身上京し、特定の師に就くこともなく独学でいわゆる「夢二式美人」をはじめとする画風を築き上げました。大正モダンの中で確立した作風は、現在でも色褪せることなく多くの人々に愛されています。夢二は複数の女性と関係をもっていたことから、恋多き男性としての側面がよく取り上げられています。しかし夢二は子供向けの童画も多く手掛けており、いつまでも童心を忘れない純粋な精神の持ち主でもありました。
今回の展覧会では肉筆作品をはじめセノオ楽譜・書簡・著作本・絵葉書・雑誌の挿絵・ポスターまで、夢二が手掛けた幅広い画業に光を当てました。ぜひこの機会に真の夢二像に触れていただければ幸いです。
http://www.hirano-museum.jp/takehisayumeji-taisyouromannnimiserarete.html
●【開幕特集】竹久夢二展ー大正ロマンに魅せられてー 平野美術館(中日新聞 2023年6月7日)
特別展「竹久夢二展−大正ロマンに魅せられて−」(中日新聞東海本社共催)が十日、浜松市中区の平野美術館で開幕します。8月13日まで。
「夢二式美人画」と呼ばれる画風を築き、大正ロマンを代表する画家へと上り詰めた夢二(本名・茂次郎(もじろう)、一八八四〜一九三四年)。岡山県の酒造業を営む家の次男として生まれ、特定の師に就かず独学で絵を学びました。
本展では「竹久夢二専門画廊 港屋」(東京都中央区)などが所蔵する肉筆作品、表紙画を手がけた雑誌や楽譜、千代紙や封筒、関東大震災を報じた新聞記事、自ら撮影した写真を通じ、幅広い創作活動を紹介します。
愛あふれ、花開く マルチな芸術、デザインや詩も
明治十七年、岡山に生まれた夢二は、詩人や画家を目指して十八歳の時に上京します。新聞や雑誌にコマ絵(挿絵)を投稿するうちに徐々に人気となり、当時の出版文化の隆盛とともに日本中にブームを巻き起こしました。
婦人グラフの五月号表紙「藤の花」(作品(1))は当時の女性向け高級グラビア雑誌で、夢二人気にあやかり、飛ぶように売れたといわれています。
生活と美術の融合を目指し、さまざまな生活雑貨のデザインも手掛けています。「千代紙・大椿」(作品(2))は夢二デザインの生活雑貨を売る「港屋絵草子店」で販売されました。
美人画で有名ですが、キャリアの晩年にいたるまで、子供向けの書籍や雑誌に数多くの表紙絵や挿絵を描きました。「花のたよりの文つかひ」(作品(3))は「少女画報」という当時の女の子向けの雑誌に掲載されました。
当初、詩人を志していた夢二は多くの詩作も残し、中でも有名なのが夢二が作詞を担当した楽曲「宵待草(よいまちぐさ)」です。この宵待草が発表・掲載されたのが楽譜集「セノオ楽譜」シリーズです。夢二は二百七十余点の表紙絵も手掛け、「ホームソング」(作品(4))は楽譜集に掲載した水彩原画です。
昭和六年、四十八歳の時に夢二はかねての夢だった欧米への旅に出ます。しかし世界恐慌の中、思うように絵も売れず失望と苦難の連続でした。「舟泊り」(作品(5))は昭和八年にベルリンで描かれた貴重な作品です。体調を崩して帰国した夢二は翌九年、長野で波瀾(はらん)万丈の生涯を五十一歳で閉じます。
近年では「グラフィックデザイナーの原点」「カワイイの原点」とも評される夢二。本展で夢二芸術の多様性に触れて頂けると幸いです。
(株式会社港屋 代表取締役 大平龍一)
◆会期 8月13日(日)まで。月曜休館。7月17日は開館、同18日は休館
https://www.chunichi.co.jp/article/704998
●「竹久夢二 - 大正ロマンに魅せられて - 」(公益財団法人平野美術館)
竹久夢二は明治17年、岡山県邑久郡本庄村の代々酒造業を営む家に次男として生まれます。そして単身上京し、特定の師に就くこともなく独学でいわゆる「夢二式美人」をはじめとする画風を築き上げました。大正モダンの中で確立した作風は、現在でも色褪せることなく多くの人々に愛されています。夢二は複数の女性と関係をもっていたことから、恋多き男性としての側面がよく取り上げられています。しかし夢二は子供向けの童画も多く手掛けており、いつまでも童心を忘れない純粋な精神の持ち主でもありました。
今回の展覧会では肉筆作品をはじめセノオ楽譜・書簡・著作本・絵葉書・雑誌の挿絵・ポスターまで、夢二が手掛けた幅広い画業に光を当てました。ぜひこの機会に真の夢二像に触れていただければ幸いです。
前期: 6月11日~7月17日
後期: 7月19日~8月13日
http://www.hirano-museum.jp/takehisayumeji-taisyouromannnimiserarete.html
●「新聞小説 夢二の「二筆流」 話と挿絵 企画展 湯涌の美術館」(中日新聞)
明治末期−昭和初期に活躍し女性画や挿絵のイメージが強い金沢ゆかりの詩人画家、竹久夢二(1884〜1934年)の新聞小説四作品を挿絵とともに紹介する企画展が、金沢市湯涌町の金沢湯涌夢二館で開かれている。一作目の「岬」発表から百年の節目に開催。小説を理解すると、女性画などに込められた真意や夢二の生き様をより味わえるようになる。(室木泰彦)
四作品は、明治中期から昭和の戦前まで東京で発刊した「都新聞」(東京新聞=中日新聞東京本社=の前身)で一九二三年八月〜二七年九月に掲載された。夢二初の三部作、「岬」全七十五回(関東大震災ルポルタージュ「東京災難画信」連載で途中一カ月ほど休載)▽「秘薬紫雪」全四十九回▽「風のやうに」全五十七回−と、体験を基にした自伝的小説「出帆」全百三十四回。
三部作は恋愛小説。「岬」の告知で夢二は、貞操について女性三人(モデル、温泉地の娘、舞台女優)を書いたとし、「誰も彼も、岬の方へ急ぐ不幸な人達です」と紹介。最終話で一人目で予定枚数を超え三部作にすると記した。主人公女性の破滅的な男性遍歴などを通して男女関係の機微を描き、挿絵などで見られる人物の寂しい姿に重なる部分が多いという。「出帆」は、予告で「いまいましい実録」を「さっさと洗いざらひ書いちまって」と記した通り、生涯三人の女性と親密な関係を持った体験をほぼ再現している。
国立国会図書館や同館所蔵の都新聞を複写した各第一話を展示。挿絵にあらすじを添え物語の流れが把握できる。「風のやうに」を載せた都新聞の切り抜きも貼ったスクラップブック(同館所蔵)を公開。都新聞の実物もあり、当時の雰囲気を感じることができる。
担当学芸員の川瀬千尋さんは、挿絵を整理中に、同館所蔵の下絵を完成させたとみられる挿絵が「岬」四十九話で使われたことを発見。川沿いの柳が温泉街の風情を伝える絵で、並べてあるため下絵と挿絵の類似性が分かる。川瀬さんは「特に出帆では女性関係のスキャンダルへの自己弁護と解釈できる部分もある一方、体験が現実に近い形で再現され、小説を読むと絵などをより深く理解できるようになる」と話す。
企画展は6月18日まで。火曜休館(祝日の場合は翌平日)
https://www.chunichi.co.jp/article/684708
●2023年夏の企画展「Taisyo Romantic
Design-夢二のモダン×伝統デザイン-」 当館新収蔵作品《千代紙「きのこ」》を岡山で初公開
2023年6月6日(火)~(岡山)夢二郷土美術館本館にて開催 両備ホールディングス株式会社
夢二郷土美術館本館(所在地:岡山県岡山市中区浜2-1-32、館長:小嶋光信、運営:公益財団法人両備文化振興財団)では、2023年6月6日(火)より、「Taisyo Romantic Design-夢二のモダン×伝統デザイン-」と題した企画展を開催いたします。
本展では、夢二のスクラップブックから夢二デザインのイメージソースを辿るとともに、夢二式美人に応用された夢二デザインの形もご紹介します。また、夢二がアールヌーヴォーから影響を受けた作品の一つでこのたび当館新収蔵となった《千代紙「きのこ」》を初公開。令和の私たちが見ても胸高鳴る大正浪漫のデザインの数々をお楽しみください。
<夢二郷土美術館 https://yumeji-art-museum.com/>
https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000174.000052428.html
●越懸澤麻衣著『大正時代の音楽文化とセノオ楽譜』が発売中!
https://honno.info/kkan/card.html?isbn=9784867800096
●ひろたまさき著『異国の夢二』が発売中!
https://www.kinokuniya.co.jp/f/dsg-01-9784065323465
●夢二の雰囲気に包まれてオリジナル懐石を楽しめる!――神楽坂「夢二」
https://www.kagurazaka-yumeji.com/
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