※創刊号(2021.8.8)~第37号(2022.4.10)はこちらをご覧ください。⇒ https://yumejitotaiwan.exblog.jp
※ビジュアル夢二ブログ「夢二と台湾」⇒ https://jasmineproject.amebaownd.com/

 

■メッセージ■

 ついに待ちに待った日がやってきました。100号を目標として202181日からスタートした週報「夢二と台湾2023」は、おかげさまで99号を迎えました。

「待ちに待った日」というのは、実は、私は達成よりも達成まであと一歩の瞬間に一番幸せを感じるからです。なぜなら、達成後の次の活動の夢が最大限に膨らむからです。達成しなければ当然次がありませんが、達成してしまうと、それまでの成果が大きな塊となってしまい、もう手を加えられない状態になってしまうように思われるのです。夢二がこんなことを日記に書いていました。「私は結論へ到達したくない。いつもプロセスにいたい。」(19101121日)

残念ながら、編集計画の悪さからすべての連載が100号で完了しないということもあり、これはしばらく補追版を出して整理していくことにしましたが、1014日に目白の「ギャラリーゆめじ」で開催する「夢二と台湾2023」講演会(先行国内版)、112日、3日で台湾で開催する講演会と動画の制作が本格化し、9月末まではこれと同時進行することになりそうです。

そして、2024年は夢二生誕140年、没後90年という節目となる年。これも手伝って、新たな取組みが徐々に姿を見せ始めています。

「夢二を楽しむ」、「夢二を伝える」というコンセプトをどのようにして形にしていくのか考えるのはとても楽しいことです。しかし、昨年は大病をしたこともあり、SDGs(Sustainable Development Goals)Sustainable(持続可能)と同様の考え方で、持続可能な活動とするため、無理なく続けられる方法を工夫してやっていきたいと思います。

▼いつも熟考しているようにみえるけど、実は何を考えているんだろう。。。
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■竹久夢二の素顔■

●廣田知子「みなと屋の夢二」(12)(『竹久夢二』竹久夢二美術館(石川桂子学芸員)監修(河出書房新社)の「夢二を知る女性たち」より)

(注)本文は、文筆家の廣田知子が『猫町文庫』第四集 2013年(平成25)猫町文庫」に掲載したものです。

 夢二の動物絵としては生涯の代表作としてあまりにも有名な「黒船屋」というのがある。真っ黒な猫を白く大きな手で抱きかかえたおはぐろの女が黒船屋と書かれた箱に腰掛けている図だが、女と猫の謎の部分を表裏一体化した構図で見事に描き切り、動物の使い方としては抜群の効果を上げている。この黒猫もソノが居た頃、夢二の家に飼われていた二匹の猫の中の真っ黒な一匹がモデルになっていたのであろうか。

・神近市子

 来客といえば、後に夢二と彦乃の京都時代を援護するクリスチャンの堀内清も度々顔を見せていたし、神近市子も毎週土曜日の夕方ともなればきまって訪ねてくるのだった。神近市子は明治四十三年頃夢二の家に書生として住み込んで女子英学塾へ通っていたことがあった。卒業後は『東京日々新聞』の女性記者となり、人気画家竹久夢二の取材かたがた遊びに来ていたものと思われる。彼女はアナーキストで有名な大杉栄の愛人として大正五年夏に葉山の日蔭茶屋で傷害事件を起こし、牢獄生活も経験しているが、第二次大戦後は一転して国会議員となり売春禁止法の成立に力を尽くした。この日蔭茶屋事件の経緯は瀬戸内晴美の小説『美は乱調にあり』に詳しく記述されている。ソノと市子は以前からの顔見知りの間柄であった。ソノは刺繍の色彩感覚を磨くために暇を見つけては銀座のショウウィンドウを覗いて歩いたが、昼食には天ぷらで名高い天國で天丼を食べたり、又行きつけの喫茶店で雑煮を食べるのが楽しみであった。職業婦人の少ない時代であったから、その喫茶店でいつも旨そうに汁粉を飲んでいる市子と顔を合わせる中に、二人はいつか挨拶を交わす間柄になっていた。夢二の家でソノを見出した市子は、

「あらっ、貴女ここにいらしたの」

と驚きの声を上げ、ソノを交えて話が弾み、その晩は夢二の家へ泊っていく市子であった。或いはこの頃既に大杉栄と関わりを持っていた市子は、ソノが寝た後でも栄のことや新たな愛人伊藤のえのこと、又栄の正妻を交えた四角関係の悩みを夢二に綿々と訴えていたのかも知れない。

 のちにソノが何かの折に自分の不器量を嘆いて夢二にこぼすと、

「神近市子を見ろよ。あの飛び出た鷲鼻で、自分は日本一の美人だぞーっていう顔をしてやってくるじゃないか。ソノちゃんは色も白いし、声もいいし、あれよりずーっとましだよ。自分のこと美人だ美人だと思うときれいになるものだよ。」

と市子を引き合いに出して慰めてくれたのが、何となくおかしくてソノには忘れ難かった。この頃銀座八丁目の現在の場所にカフェパウリスタが開店した。ここは日本最初のコーヒー喫茶店として有名だが、当時はお揃いの飾り軍服を着せた美少年ばかりを集めてボーイにしているのが評判を呼んだ。青春真っ盛りのソノは有楽町のミシン学校から毎日市電でパウリスタに日参したと述懐していたが、晩年に至るまでコーヒー好きで、毎朝トーストにバターを塗り、ハムと卵とサラダを副食にコーヒーを愛飲するモダンばあさんであった。(つづく)

▼神近市子
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■大正浪漫トピックス

「漫畫慢言 夏の夜のモダンガール尾行記」藤本斥夫(『婦人世界』第21巻第8号 文・挿絵 1926年(大正158月)

*『大正ガールズコレクション 女学生・令嬢・モダンガールの生態』石川桂子編著(河出書房新社)よりか

(編者)これは、著者が夏の夜の銀座に繰り出して書いたモダンガールの観察記です。料理店、日比谷公園、有楽町駅まで尾行してルポしているようです。オノパトペを多用した文章が非常にユニークで、当時の流行言葉が溢れ、リズムに乗った口語調なので実際に声が聞こえてきそうで、面白さが満載です。

踊り出でたるは、戸山ヶ原の畔に住まいたる漫画子でおじゃる……こんどこの度、銀座の情緒を漫画化いたそうと思い立ち、はるばると参ってござる。でも夜の銀座の見事なこと、中将姫か初菊姫の花簪(かんざし)のように、キンキラ、キンキラと綺麗でござる。

夜の銀座は賑やかでおじゃる……。メーデーをひっくり返したように、このマア賑やかなことわい。ロイド眼鏡に耳隠し、カンカン帽子にラジオ巻き、赤ネクタイに断髪に、一対ずつの男女の群れがうじょうじょしてごじゃる……。

銀座の情緒は恋(ラブ)の情緒じゃ、モダンガールの恋の情緒を引っこ抜いたら、銀座の情緒はコンマ・ゼロになるじゃろう。

それにつけても、この時世の変わったことはいかがでござろう?明るい街のまん真ん中で、恋を語り、大道のまん中で逢引して、回って回って回って疲れたら、カフェープランタンで一服してござる……。逢引という言葉はモウ現代の字引になくなった。正々堂々会合して、サンキューイエスオーライと言ってござる。トトトト待たれよ、噂をすれば影とやら、イヤいるぞよ、いるぞよ、あすこの交差点に美人が待ってござる。クリーム色の絹の洋服から白い肌がほのかにも仄(ほの)かにすいて、足の長いは虹児式の金属製の麗人でござる。ほう、笑ったぞ、笑ったぞ、何が嬉しゅうてか。

 視線をたぐっていくといたそう。すぐ前に娘婿がハンカチを買っておじゃる。酒屋の小僧がおもちゃを見てござる。奥様が旦君のステッキを持ってござる、そのほかはゾロリ、としているばかり、とんと、おかしいことは見つからぬがワー……なるほどなるほど合点申した。

 パイプ加えた二五、二六が、息せききって人群れを割ってござるわい。それそれ麗人が近よったぞよ。うれしげに、破顔したではござらぬか。ウフウフウフッ……長く待たしたけんつくを、歪んだエクボにたたえてござる……。なんとかいたして甘い蜜語を、聞きたいものじゃ。まずまず尾行(つけ)てまいろう。ほう、これはたまらぬ、手を組みおるわい。オヤ、急に離しおったぞ……はははん、買い物じゃげな。

 呉服屋に入って柄を見てござる。誰の浴衣かな、ナニナニ……御納戸色の風船飛ばし……イヤとんとこたえられぬわ、パイプがまぐち開けて、十円札を出しておじゃるわ……イヤーこれはいかなこと!いずれかへおじゃった、お二人がいずれかへおじゃた。えらいこといたした。見失ってくれたわい。どうしてくれよう、ヤーイ、ヤーイ二人……。アッタッタ……おじゃったおじゃった。(つづく、次回完)

※中将姫(ちゅうじょうひめ):天平19818日(747930日)- 宝亀6314日(775422日))は、奈良の當麻寺に伝わる『当麻曼荼羅』を織ったとされる、日本の伝説上の人物。平安時代の長和・寛仁の頃より世間に広まり、様々な戯曲の題材となった。

※初菊姫:?(「菊姫は同名者が大勢います。日本酒の名称でもあります。)

※けんつく:荒々しく邪険にしかりつけること。<goo辞書>

※御納戸色:納戸色のこと。藍染めの一つで、緑色を帯びた青色。江戸城内の、納戸の垂れ幕やふろしきに用いられた。

「モガ尾行記」3
「モガ尾行記」1

 

■夢二の世界■

PART 4 「夢二のデザイン」(「竹久夢二 《デザイン》モダンガールの宝箱」(竹久夢二美術館 石川桂子著、講談社)より
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 カット・イラストの仕事

(2)『抒情カット図案集』

宝文館が出版した雑誌『令女界』『若草』等に掲載されたカット・イラストを、画家別・ジャンル別に分類、集成した図案集。夢二のほかに、岩田専太郎・加藤まさを・川上四郎・須藤しげる・田中良・蕗谷虹児といった画家が起用され、花や植物等のカットが収録されている。

 全60ページのうち、夢二は半分以上の35ページを担当した。テーマは「ばら」「たんぽぽ」「松竹梅」などの花卉をはじめ、「果物」「山水」「建築物」「秋七題」など多岐にわたっている。1ページ1テーマで、各テーマにつき10種類ほどのカットが掲載された。

▼「竹久夢二 《デザイン》モダンガールの宝箱」(竹久夢二美術館 石川桂子著)より

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「モガ尾行記」1
 

 

■夢二情報■
●竹久夢二のすべて 画家は詩人でデザイナー」(京都 福田美術館、2023714日(金)~ 109日(月・祝))

本展は2024年に生誕140年、没後90年を迎える画家、竹久夢二の回顧展となります。

「夢二式美人」と呼ばれ、一世を風靡した美人画の数々に加え、雑誌の挿絵、楽譜の表紙デザイン、本の装丁や俳句・作詞にいたるまで、多彩な才能を発揮したクリエーターとしての夢二の魅力が詰まった作品の数々をご覧いただきます。

200点以上の作品がまとまって公開されるのは関西では約30年ぶり。夢二ファンはもちろん、老若男女を問わずお楽しみいただける展覧会です。
https://fukuda-art-museum.jp/exhibition/202304302843

●企画展「夢二が見つめた1920年代」(竹久夢二美術館、202371()から924()
関東大震災からモダンガールまで夢二作品を紹介(FASHION PRESSより)

大正時代から昭和時代へと変わる1920年代は、日本の近代化に伴う様相が広く人びとに浸透していった時代であった。この時期、竹久夢二は、夢二式美人と呼ばれるセンチメンタルな女性像で人気を集める一方、急速に変化する社会を反映した作品も手がけている。

企画展「夢二が見つめた1920年代 ─震災からモダンガールの表現まで─」は、20年代における夢二の創作を紹介する展覧会。関東大震災にまつわるスケッチとエッセイ、当時流行したモダンガールを描いた作品などを展示する。

1923年に発生した関東大震災は、江戸時代の面影を残す東京に甚大な被害をもたらす一方、大規模な復興事業により新たな建築などの整備が進められ、東京は近代的な都市へと変貌してゆくこととなった。本展では、夢二が被災地・東京を描いた「東京災難画信」などを展示し、震災により変わり果てた風景や生活の様子、復興へ向けての動きに光をあてる。

大正時代は、女性の社会進出や関東大震災の発生などを背景に、女性の洋装の需要が高まった時期であった。この頃から昭和初期にかけて、洋装を着用する若い女性は、モダンガールと呼ばれている。会場では、モダンな装いを捉えた夢二の作品に着目し、モダンガールをアール・デコ風に表現した《涼しき装い》や、洋装と和装の取り合わせを描いた《湖畔の秋》などを紹介する。

https://www.fashion-press.net/news/103627

●館蔵品企画展「竹久夢二展~夢二式美人を中心に」を朝日町ふるさと美術館で開催。(「富山新聞」)

朝日町ふるさと美術館の竣工(しゅんこう)式は6日行われ、約50人が隣接する不動堂遺跡を含めた文化歴史ゾーンの核施設として滞在・体験型観光の拠点となるよう期待を込めた。旧美術館から移転、展示スペースを1・5倍以上にしてリニューアルオープンする。7日から一般開放される。

3億8212万円を投じ、同町横水の交流体験施設「なないろKAN」を大規模改修した。有利な財源を活用し、町の負担は総額の4分の1となる。周辺には歴史公園や埋蔵文化財保存活用施設「まいぶんKAN」もあり、町は「歴史と文化の薫り漂うふるさとゾーン」に位置付けている。

7日からは開館記念の特別展「光と影のモビール 現象する歌」、館蔵品企画展「竹久夢二展~夢二式美人を中心に」(いずれも富山新聞社後援)が開かれる。

特別展は現代アート作家小松宏誠さん(42)による光や音、動きを生かして空間を彩るモビール、羽根の立体作品などで、6日の内覧会では小松さん自身が幻想的な展示を解説した。朝日町の海をイメージし、和紙やフィルムで光のきらめきを表現した作品が注目を集めた。特別展は9月10日まで、竹久夢二展は一部作品を入れ替え10月22日まで。

https://www.hokkoku.co.jp/articles/-/1118614

●「竹久夢二展ー大正ロマンに魅せられてー」平野美術館(中日新聞 202367日)

特別展「竹久夢二展大正ロマンに魅せられて」(中日新聞東海本社共催)が十日、浜松市中区の平野美術館で開幕します。813日まで。

 「夢二式美人画」と呼ばれる画風を築き、大正ロマンを代表する画家へと上り詰めた夢二(本名・茂次郎(もじろう)、一八八四〜一九三四年)。岡山県の酒造業を営む家の次男として生まれ、特定の師に就かず独学で絵を学びました。

 本展では「竹久夢二専門画廊 港屋」(東京都中央区)などが所蔵する肉筆作品、表紙画を手がけた雑誌や楽譜、千代紙や封筒、関東大震災を報じた新聞記事、自ら撮影した写真を通じ、幅広い創作活動を紹介します。

愛あふれ、花開く マルチな芸術、デザインや詩も

 明治十七年、岡山に生まれた夢二は、詩人や画家を目指して十八歳の時に上京します。新聞や雑誌にコマ絵(挿絵)を投稿するうちに徐々に人気となり、当時の出版文化の隆盛とともに日本中にブームを巻き起こしました。

 婦人グラフの五月号表紙「藤の花」(作品(1))は当時の女性向け高級グラビア雑誌で、夢二人気にあやかり、飛ぶように売れたといわれています。

 生活と美術の融合を目指し、さまざまな生活雑貨のデザインも手掛けています。「千代紙・大椿」(作品(2))は夢二デザインの生活雑貨を売る「港屋絵草子店」で販売されました。

 美人画で有名ですが、キャリアの晩年にいたるまで、子供向けの書籍や雑誌に数多くの表紙絵や挿絵を描きました。「花のたよりの文つかひ」(作品(3))は「少女画報」という当時の女の子向けの雑誌に掲載されました。

 当初、詩人を志していた夢二は多くの詩作も残し、中でも有名なのが夢二が作詞を担当した楽曲「宵待草(よいまちぐさ)」です。この宵待草が発表・掲載されたのが楽譜集「セノオ楽譜」シリーズです。夢二は二百七十余点の表紙絵も手掛け、「ホームソング」(作品(4))は楽譜集に掲載した水彩原画です。

 昭和六年、四十八歳の時に夢二はかねての夢だった欧米への旅に出ます。しかし世界恐慌の中、思うように絵も売れず失望と苦難の連続でした。「舟泊り」(作品(5))は昭和八年にベルリンで描かれた貴重な作品です。体調を崩して帰国した夢二は翌九年、長野で波瀾(はらん)万丈の生涯を五十一歳で閉じます。

 近年では「グラフィックデザイナーの原点」「カワイイの原点」とも評される夢二。本展で夢二芸術の多様性に触れて頂けると幸いです。

(株式会社港屋 代表取締役 大平龍一)

https://www.chunichi.co.jp/article/704998

 

●「竹久夢二 - 大正ロマンに魅せられて - 」(公益財団法人平野美術館)

竹久夢二は明治17年、岡山県邑久郡本庄村の代々酒造業を営む家に次男として生まれます。そして単身上京し、特定の師に就くこともなく独学でいわゆる「夢二式美人」をはじめとする画風を築き上げました。大正モダンの中で確立した作風は、現在でも色褪せることなく多くの人々に愛されています。夢二は複数の女性と関係をもっていたことから、恋多き男性としての側面がよく取り上げられています。しかし夢二は子供向けの童画も多く手掛けており、いつまでも童心を忘れない純粋な精神の持ち主でもありました。

今回の展覧会では肉筆作品をはじめセノオ楽譜・書簡・著作本・絵葉書・雑誌の挿絵・ポスターまで、夢二が手掛けた幅広い画業に光を当てました。ぜひこの機会に真の夢二像に触れていただければ幸いです。

前期: 611日~717

後期: 719日~813
http://www.hirano-museum.jp/takehisayumeji-taisyouromannnimiserarete.html

●「新聞小説 夢二の「二筆流」 話と挿絵 企画展 湯涌の美術館」金沢湯涌夢二美術館(中日新聞)

明治末期−昭和初期に活躍し女性画や挿絵のイメージが強い金沢ゆかりの詩人画家、竹久夢二(18841934年)の新聞小説四作品を挿絵とともに紹介する企画展が、金沢市湯涌町の金沢湯涌夢二館で開かれている。一作目の「岬」発表から百年の節目に開催。小説を理解すると、女性画などに込められた真意や夢二の生き様をより味わえるようになる。(室木泰彦)

 四作品は、明治中期から昭和の戦前まで東京で発刊した「都新聞」(東京新聞=中日新聞東京本社=の前身)で一九二三年八月〜二七年九月に掲載された。夢二初の三部作、「岬」全七十五回(関東大震災ルポルタージュ「東京災難画信」連載で途中一カ月ほど休載)▽「秘薬紫雪」全四十九回▽「風のやうに」全五十七回−と、体験を基にした自伝的小説「出帆」全百三十四回。

 三部作は恋愛小説。「岬」の告知で夢二は、貞操について女性三人(モデル、温泉地の娘、舞台女優)を書いたとし、「誰も彼も、岬の方へ急ぐ不幸な人達です」と紹介。最終話で一人目で予定枚数を超え三部作にすると記した。主人公女性の破滅的な男性遍歴などを通して男女関係の機微を描き、挿絵などで見られる人物の寂しい姿に重なる部分が多いという。「出帆」は、予告で「いまいましい実録」を「さっさと洗いざらひ書いちまって」と記した通り、生涯三人の女性と親密な関係を持った体験をほぼ再現している。

 国立国会図書館や同館所蔵の都新聞を複写した各第一話を展示。挿絵にあらすじを添え物語の流れが把握できる。「風のやうに」を載せた都新聞の切り抜きも貼ったスクラップブック(同館所蔵)を公開。都新聞の実物もあり、当時の雰囲気を感じることができる。

 担当学芸員の川瀬千尋さんは、挿絵を整理中に、同館所蔵の下絵を完成させたとみられる挿絵が「岬」四十九話で使われたことを発見。川沿いの柳が温泉街の風情を伝える絵で、並べてあるため下絵と挿絵の類似性が分かる。川瀬さんは「特に出帆では女性関係のスキャンダルへの自己弁護と解釈できる部分もある一方、体験が現実に近い形で再現され、小説を読むと絵などをより深く理解できるようになる」と話す。

 企画展は618日まで。火曜休館(祝日の場合は翌平日)

https://www.chunichi.co.jp/article/684708

2023年夏の企画展「Taisyo Romantic Design-夢二のモダン×伝統デザイン-」 当館新収蔵作品《千代紙「きのこ」》を岡山で初公開

202366日(火)~(岡山)夢二郷土美術館本館にて開催 両備ホールディングス株式会社

夢二郷土美術館本館(所在地:岡山県岡山市中区浜2-1-32、館長:小嶋光信、運営:公益財団法人両備文化振興財団)では、202366日(火)より、「Taisyo Romantic Design-夢二のモダン×伝統デザイン-」と題した企画展を開催いたします。

本展では、夢二のスクラップブックから夢二デザインのイメージソースを辿るとともに、夢二式美人に応用された夢二デザインの形もご紹介します。また、夢二がアールヌーヴォーから影響を受けた作品の一つでこのたび当館新収蔵となった《千代紙「きのこ」》を初公開。令和の私たちが見ても胸高鳴る大正浪漫のデザインの数々をお楽しみください。

<夢二郷土美術館 https://yumeji-art-museum.com/

https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000174.000052428.html

●越懸澤麻衣著『大正時代の音楽文化とセノオ楽譜』が発売中!

https://honno.info/kkan/card.html?isbn=9784867800096

●ひろたまさき著『異国の夢二』が発売中!
https://www.kinokuniya.co.jp/f/dsg-01-9784065323465

●夢二の雰囲気に包まれてオリジナル懐石を楽しめる!――神楽坂「夢二」

https://www.kagurazaka-yumeji.com/