※創刊号(2021.8.8)~第37号(2022.4.10)はこちらをご覧ください。⇒ https://yumejitotaiwan.exblog.jp
※ビジュアル夢二ブログ「夢二と台湾」⇒ https://jasmineproject.amebaownd.com/

 

■メッセージ■

目標突破第1号です。

「夢二と台湾2023」の準備と並行して、あらためて、夢二最愛の女性笠井彦乃の姪・坂原冨美代氏の著書「夢二を変えた女(ひと) 笠井彦乃」を熟読し、要点の抜き書きを始めました。夢二が彦乃と会っていたわずか5年数か月の間は、49年余の夢二の人生の中で特別な意味を持つ期間だったことは明らかで、自由気ままながら常に悶々として生きた夢二が唯一“本気で生きた時”のような気がするからです。そして唯一本気で人を慈しむ気持になった時でもあるでしょう。従って、この時期は夢二の素顔が一番よく見え、また、これまでの従順で薄幸の画学生として描かれていた笠井彦乃の真の姿が見えるということでも大いに興味深いところです。

特に注目したのは、彦乃の生きた時代。日本の社会が大きな変革をし始めた時です。彦乃はまさにその時代の若い女性の姿を象徴していると思います。この頃に飛躍的な女性の社会的進出が見られます。日本文化の変革期です。大正ロマンの世界を創り出した夢二と、それとともに外の世界へ飛び出した女性の姿、そしてそれを支えた人々。ここに日本の社会が集約されているようにも見えます。現代につながる部分も非常に多いので、。現代を考える上でも非常に参考になる部分も大きいと思います。

同書は彦乃の日記をもとにして彦乃の肉親がかいたものという確実性があります。彦乃を通して時代を見る、夢二を見る。この視点を満足させるこの一冊。果たして私の彦乃メモがどんな形になるか、いまからワクワクです。いわば「彦乃と夢二2025」の幕開けです。(2025年は夢二と彦乃がニコライ大聖堂で愛を誓ってから110年目にあたります。)

▼「夢二を変えた女 笠井彦乃」(坂原冨美代著、論創社刊)
IMG_7743 (2)

 

■竹久夢二の素顔■

●廣田知子「みなと屋の夢二」(12)(『竹久夢二』竹久夢二美術館(石川桂子学芸員)監修(河出書房新社)の「夢二を知る女性たち」より)

(注)本文は、文筆家の廣田知子が『猫町文庫』第四集 2013年(平成25)猫町文庫」に掲載したものです。

・笠井彦乃

 ソノは又夢二の生涯の愛人として定評のある笠井彦乃(かさいひこの)とも面識がある。この頃の二人はまだ知り合ったばかりの初々しさで、夢二の一回り年の離れた彦乃が遠慮がちにやってくると、ソノも一緒に炬燵に入って家族合わせや花札に興じたものであった。彦乃は日本橋紙問屋の娘で、色白のぽっちゃりした美人であったが、小柄でスタイルにも特色がなく、ソノの目には一目で絵心をそそられるたまきの容姿には遠く及ばないように見えた。鎌倉河岸の夢二の借家は、市電通りから路地を入って突き当りに位置していたが、その路地に面して、「和裁教えます」の看板を出している家が一軒あって幾人かの娘たちがお針のお稽古に通ってきていた。ばあやの話では彦乃はそこに裁縫を習いにきていて、外出の度に前を通る夢二と親しくなったということだったが、大方の年譜では女子美術在学中の彦乃が憧憬まじりにみなと屋の店で夢二と知り合ったのだと伝えられている。只ソノがいた頃はみなと屋の店に夢二が顔を出すことはめったになく、彦乃は裁縫のお稽古に通って来て、たまきが店へ出勤するのを見届けてから夢二の家を訪問してきた様だった。これも恋は知恵者の諺通り、最初の出会いはどこであったにしろ、夢二に会う為に彦乃が裁縫のお稽古を家人を欺く隠れ蓑に使った公算は大きく、或いはそれが年長者として夢二の入れ智慧であったとも考えられる。

 ソノは当時は彦乃より二歳も年上の二十一歳にもなっていたが、年齢の割には随分おくてのところがあり、夢二、たまき、彦乃の三角関係も後になって新聞や雑誌でやっと真相を知った位であった。そういうソノの人柄は友人の畑テルを通して夢二にも伝わっていたらしく、ソノが仕事をしていた半年の間、彼女は夢二とたまきの争い事を一度も目撃したことはない。しかしばあやの前では二人はしょっちゅう口論が絶えなかったようで、

「吉田さんがいるときは、絶対に喧嘩する所をみせないんだから不思議よね」

と言わせる程であった。無垢な娘の前で、夢二やたまきの自制心が働いたということは感慨深いものがあるが、彼の絵の世界が生涯女性美の追求にそそがれたことから見て、人間としての夢二はやはり純粋な魂の持主であったのだろう。或る日の昼下り、ソノが夢二と彦乃の三人で炬燵に入って他愛のない雑談を交わしていると、思いがけなくたまきがみなと屋から戻って来た。

「あら、いらっしゃい」

と笑顔で挨拶しながら、たまきの顔色がさっと翳(かげ)ったのをさすがに男女の機微にうといソノも気づかずに居れなかった。たまきは持ち前の勝ち気さですぐに一緒に炬燵に足を入れて表面は何気なく世間話の仲間入りをしていたが、恐らくその敏感な感受性で、危険なライバルの出現を予知してしまったに違いない。(つづく、次回完)

 

■夢二の世界■

PART 4 「夢二のデザイン」(「竹久夢二 《デザイン》モダンガールの宝箱」(竹久夢二美術館 石川桂子著、講談社)より
16
 暮らしのデザイン

(1)夢二趣味の流行

暮らしの美を追求した夢二の芸術は、生活に根差したデザインというジャンルで、大きく花開いた。大正3年(1914)、夢二は東京・日本橋に「港屋絵草紙店」を開店し、自身がデザインした品々を販売した。店名の“絵草紙”にちなみ、一枚物の錦絵(木版画)に加え、木版で制作された千代紙や絵封筒、半襟等が商品として並べられた。後者は要するに、現代でいう“ファンシーグッズ”である。女性の暮らしや装いを彩る雑貨、さらに画家の手によるオリジナルグッズであるという点で画期的であった。

「日本の娘さんたちに向きさうな」商品企画という狙いは、大正という新しい時代に合致し、港屋は大変な評判となった。少女や女学生はもちろん、夢二が京都で出逢った娼妓(しょうぎ)ふたりが、偶然にも港屋製の半襟をつけていたというエピソードも残されているほど、夢二デザインは普及していたようだ。

残念ながら港屋はわずか2年で閉店となり、版元(港屋)の名は消えてしまうが、夢二の錦絵や千代紙は、大阪にあった<柳屋>が版元として引き継ぎ、さらに絵封筒、手拭いなどは新たなデザインを加えて商品展開がなされた。

 夢二趣味による品々の普及は、店舗販売にとどまらなかった。夢二は編集局絵画主任を務めた雑誌『新少女』(大正4年創刊)などの雑誌上で、少女の生活を彩るためのアイデアを提案し、画期的な試みを実践していった。

『新少女』では、夢二の図案を口絵ページに掲載し、読者の少女たちがそれを手本に、着衣や手回り品を手作りできるような工夫が凝らされた。たとえば「少女用半襟の図案」(第1巻第2号)、「本ばさみの図案」(第1巻第3号)、「ステンシルにする帯の模様」(第1巻第4号)、「ぬひとり模様」(第1巻第6号)といった内容で、これらは刺繍等の型紙として使用された。夢二の図案は日本の四季折々に見られる身近な植物をモチーフにしたものが多く、素朴ながらも洒落た模様と色使いが特徴で、眺めるだけでも心が豊かになり、楽しめるものであった。

時には少女たちの作品を募集し、誌上で発表する機会も設けた。たとえば「スヰートピー」(第1巻第3号)と題し、夢二が描いたスイートピーの花をモチーフに、「工夫して、図案を作つてみて下さい。地色も考へてみて下さい、大きさも、カタチも自由にして置きます。帯にする図案でも半襟でも、日傘でも、手巾(はんけち)でも、何でもよろしい」として、少女たちにそれぞれのアイデアを形にした図案を投稿してもらい、次号で講評する企画を実践している。

また、「少女の部屋の飾り方」(第1巻第2号)という口絵をつけて、本文で「あなたの部屋をどう飾りますか」というユニークなアドバイスを掲載したこともあった。夢二は少女に「部屋や机のまわりは、あなたの治めてゐらつしやる国のやうなものです。机を国譬(たと)へると、さしあたりあなたはこの国の女王です」と呼びかけ、「どんなに飾るべきかと考へるよりも、どんなに簡素に始末するかと考へて下さい」とポイントを挙げ、文末では「ただ必要なものだけを適当な場所へちやんと置いておくといふことが、最もよい飾り方なのです。何時(いつ)電気が消えても、手探りで自分のものは自分で始末のできるやうにしておきたいものです」と結んでいる。

夢二は少女の暮らしと心を豊かにすべく、メッセージを送ったのである。(つづく)

▼「竹久夢二 《デザイン》モダンガールの宝箱」(竹久夢二美術館 石川桂子著)より

「少女の部屋の飾り方 (2)
 

 

■夢二情報■

●企画展「明治・大正・昭和 レコードの時代と夢二の時代展 ~大衆を魅了した日本近代の音とデザイン~」(竹久夢二美術館、2023930()1224())(FASHIONPRESSより)

https://www.fashion-press.net/news/107797

センチメンタルな画風の「夢二式美人画」作品を手がけ、大正ロマンを代表する画家・詩人として知られる竹久夢二。明治・大正時代の雑誌でイラストレーションを発表するとともに、油彩画や水彩画、日本画、木版画、さらにデザイン作品を手がけ、詩や童謡も創作するなど、多岐にわたる分野で活躍した。

夢二が活動した明治時代から昭和時代にかけては、レコードが大衆に広まり、隆盛した時期と重なっている。当時の日本では、はやり唄や落語、政治家の演説などが録音され、音楽と音声を聴くためのメディアとしてレコードが製造、販売されていたのだ。

企画展「明治・大正・昭和 レコードの時代と夢二の時代展 ~大衆を魅了した日本近代の音とデザイン~」では、近代日本におけるメディアとしてのレコードとそのデザインに着目。明治時代から昭和時代の戦前期にかけての貴重なSPレコードとともに、夢二が手がけた楽譜表紙絵のデザイン、時代風俗を描いた絵画作品を紹介する。

会場では、夢二の詩で歌い継がれる「宵待草」をはじめ、明治時代から戦前期にかけてのSPレコードを展示。そのデザインの変遷を紹介するとともに、関東大震災前の芸能の情勢や、戦前期のレコード歌謡の流行にも光をあてる。

●「大正の夢 秘密の銘仙ものがたり」展、東京・弥生美術館で - “銘仙着物をコーディネートで紹介(弥生美術館、2023930()1224())(FASHIONPRESSより)
https://www.fashion-press.net/news/107661

●夢二が描いた関東大震災 渋川の記念館で特別展」(竹久夢二伊香保記念館、1015日()まで)(『朝日新聞デジタル』より)

https://www.asahi.com/articles/ASR8K7X5JR8BUHNB00C.html

●関東大震災から100年の節目に、特別展示「夢二と関東大震災」を開催 被災者でもある夢二が遺した震災の記録を初公開も含め展示(夢二郷土美術館、829日(火)~123日(日))(PRTIMESより)

https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000214.000052428.html

●「夢二の新聞連載ルポ 「東京災難画信」―100年前の自画自作小説と画信」(金沢湯涌夢二館、624()910()※毎週火曜休、815()臨時開館、816()臨時休館)

  竹久夢二(1884-1934)は、明治末期から昭和初期に活躍した詩人画家です。今年は大正1291日に発生した関東大震災から100年目となります。夢二は、震災発生後まもなく、絵入りルポルタージュの 「東京災難画信」を『都新聞』に連載しました。会場には、その手稿や震災直後の東京を描いたスケッチブックを展示します。また、十代の頃に家出をして単身で上京するほどに夢二は東京に憧れを持ち、その後の生活拠点としました。

  本展覧会では、東京や都市文化を描いた作品のほか、夢二の遺品から絵葉書など戦前の東京の様子を伝える資料も紹介します。

  さらに、夢二が「東京災難画信」と 同時代に執筆し挿絵も描いた新聞小説を中心に、新聞や雑誌上で発表した文学と絵画の作品のほか、新聞挿絵が貼り込まれたスクラップブックや当館初公開作品を含む原画と下絵も展示します。
https://www.kanazawa-museum.jp/yumeji/exhibit/index.html

●竹久夢二のすべて 画家は詩人でデザイナー」(京都 福田美術館、2023714日(金)~ 109日(月・祝))

本展は2024年に生誕140年、没後90年を迎える画家、竹久夢二の回顧展となります。

「夢二式美人」と呼ばれ、一世を風靡した美人画の数々に加え、雑誌の挿絵、楽譜の表紙デザイン、本の装丁や俳句・作詞にいたるまで、多彩な才能を発揮したクリエーターとしての夢二の魅力が詰まった作品の数々をご覧いただきます。

200点以上の作品がまとまって公開されるのは関西では約30年ぶり。夢二ファンはもちろん、老若男女を問わずお楽しみいただける展覧会です。
https://fukuda-art-museum.jp/exhibition/202304302843

●企画展「夢二が見つめた1920年代」(竹久夢二美術館、202371()から924()
関東大震災からモダンガールまで夢二作品を紹介(FASHION PRESSより)

大正時代から昭和時代へと変わる1920年代は、日本の近代化に伴う様相が広く人びとに浸透していった時代であった。この時期、竹久夢二は、夢二式美人と呼ばれるセンチメンタルな女性像で人気を集める一方、急速に変化する社会を反映した作品も手がけている。

企画展「夢二が見つめた1920年代 ─震災からモダンガールの表現まで─」は、20年代における夢二の創作を紹介する展覧会。関東大震災にまつわるスケッチとエッセイ、当時流行したモダンガールを描いた作品などを展示する。

1923年に発生した関東大震災は、江戸時代の面影を残す東京に甚大な被害をもたらす一方、大規模な復興事業により新たな建築などの整備が進められ、東京は近代的な都市へと変貌してゆくこととなった。本展では、夢二が被災地・東京を描いた「東京災難画信」などを展示し、震災により変わり果てた風景や生活の様子、復興へ向けての動きに光をあてる。

大正時代は、女性の社会進出や関東大震災の発生などを背景に、女性の洋装の需要が高まった時期であった。この頃から昭和初期にかけて、洋装を着用する若い女性は、モダンガールと呼ばれている。会場では、モダンな装いを捉えた夢二の作品に着目し、モダンガールをアール・デコ風に表現した《涼しき装い》や、洋装と和装の取り合わせを描いた《湖畔の秋》などを紹介する。

https://www.fashion-press.net/news/103627

●館蔵品企画展「竹久夢二展~夢二式美人を中心に」を朝日町ふるさと美術館で開催。(「富山新聞」)

朝日町ふるさと美術館の竣工(しゅんこう)式は6日行われ、約50人が隣接する不動堂遺跡を含めた文化歴史ゾーンの核施設として滞在・体験型観光の拠点となるよう期待を込めた。旧美術館から移転、展示スペースを1・5倍以上にしてリニューアルオープンする。7日から一般開放される。

3億8212万円を投じ、同町横水の交流体験施設「なないろKAN」を大規模改修した。有利な財源を活用し、町の負担は総額の4分の1となる。周辺には歴史公園や埋蔵文化財保存活用施設「まいぶんKAN」もあり、町は「歴史と文化の薫り漂うふるさとゾーン」に位置付けている。

7日からは開館記念の特別展「光と影のモビール 現象する歌」、館蔵品企画展「竹久夢二展~夢二式美人を中心に」(いずれも富山新聞社後援)が開かれる。

特別展は現代アート作家小松宏誠さん(42)による光や音、動きを生かして空間を彩るモビール、羽根の立体作品などで、6日の内覧会では小松さん自身が幻想的な展示を解説した。朝日町の海をイメージし、和紙やフィルムで光のきらめきを表現した作品が注目を集めた。特別展は9月10日まで、竹久夢二展は一部作品を入れ替え10月22日まで。

https://www.hokkoku.co.jp/articles/-/1118614

●越懸澤麻衣著『大正時代の音楽文化とセノオ楽譜』が発売中!

https://honno.info/kkan/card.html?isbn=9784867800096

●ひろたまさき著『異国の夢二』が発売中!
https://www.kinokuniya.co.jp/f/dsg-01-9784065323465

●夢二の雰囲気に包まれてオリジナル懐石を楽しめる!――神楽坂「夢二」

https://www.kagurazaka-yumeji.com/